環境負荷の少ない野菜づくりを支え、農業のあり方を変えていく。
京都「坂ノ途中」代表・小野邦彦さんが目指す、持続可能な社会のかたち。

環境負荷の少ない野菜づくりを支え、農業のあり方を変えていく。京都「坂ノ途中」代表・小野邦彦さんが目指す、持続可能な社会のかたち。

株式会社坂ノ途中は、京都を拠点に「環境負荷の小さい農業を営む人を増やすこと」に取り組む企業です。コンセプトは「百年先も続く、農業を」。

「今さえ良ければ」と、コストを削減して収穫量を増やそうとすると、農家は化学肥料や農薬に依存することになります。しかし、肥料に頼りすぎると野菜は生物としての強さを失います。そこで、殺虫剤や除草剤などの農薬を撒くと、土に栄養を与える微生物もいなくなり、土が痩せて野菜が育たなくなるので、また肥料を使って……という悪循環がつづくと、いつかは野菜が育たない土地になってしまいかねません。

こうした農業のあり方に対して「未来からの前借り、やめませんか」と問いかけてきた、坂ノ途中の代表・小野邦彦さん。持続可能な農業を可能にするために展開してきた事業、そして坂ノ途中が考える「持続可能な社会のかたち」についてお話を伺いました。

農業を変える突破口は「新規就農者を増やすこと」

坂ノ途中は2009年7月に設立。京都を中心に関西や九州、四国の「環境負荷の小さい農業を実践する農家」から仕入れた野菜を、京都と東京の直営店舗および個人宅配で販売するほか、飲食店などへの卸売りを行っています。

取引する約200件の農家のうち9割は、環境への負担が小さい農業に挑戦する新規就農の人たちです。どうして、坂ノ途中の取引先には新規就農者が多いのでしょうか?

小野さん「新規就農者を増やすことが、農業のあり方を変える突破口になると思っているからです。今の日本では就農者の高齢化が進み、農地が空いていくという状況が生まれています。そこに、環境への負担に少ない農業をやりたいという情熱を持つ新規就農者が入っていけたら、農業のあり方をドラスティックに変えるチャンスになりえます。「日本の農業を前向きに変えるきっかけになったのはあのときだったよね」と振り返られるようにしたいと思いながら、今みたいな仕事をしています」。

化学肥料や農薬に依存する農業は、土を痩せさせ、微生物や昆虫を減らし、周辺の環境をじわじわと破壊していきます。現在、世界の農耕地面積は約14億haですが、これまでに劣化させてきた農地はなんと約20億ha(!)。これ以上、土壌を劣化させないためには、適正な肥料設計のもとに土づくりに取り組む必要があるのです。

ところが、従来の農法に慣れている農家さんに、新しい農法に切り替えてもらうのはなかなか困難です。そこで、坂ノ途中は「有機農業に取り組みたい」という熱意ある新規就農者のパートナーになるために、彼らの課題を解決する方法を考えました。

課題のひとつは、生産量が少量不安定になりがちなこと。空き農地は日当りや水はけなどの面で条件が悪い(条件が悪いから空いている)ことが多いんです。しかし新規就農者は小規模で始める人が多いため、機械や設備に投入する資金が少ないといった背景があります。もうひとつは、少量不安定な作物を扱ってくれる流通会社がないことです。

小野さん「僕たちは、品質は良いけれど少量不安定な生産の農家さんと取引できるように、いろんな工夫を重ねてきました。僕たちは、新規就農の人たちと組んで事業が続けられている日本初の会社だし、おそらく今でも唯一の例じゃないかと思いますね」。

では、坂ノ途中はどのようにして、少量不安定な生産状況にある新規就農者との取引を主軸に据えた事業をつくりあげてきたのでしょうか?

お客さんに「野菜は生き物である」と理解してもらう

「規模が小さくても、品質の良い野菜をつくる農家を支えていきたい」と話す小野さん。まずは、「少量で不安定」な作物を扱うために新規就農者をネットワーク化。きめ細やかに情報を共有し生産量を調整することで、安定的に野菜の販売ができるしくみをつくりあげました。

同時に、個人宅配を申込んでくれるお客さんに、坂ノ途中が取り扱う野菜への理解を求める働きかけも行っています。

小野さん「お客さんに「野菜って生き物なんやな」と知ってもらうことが大事です。同じ人参でもつくる農家さんによって味が違います。「前と品質が違うから困るわ」ではなく、「この間の人参は甘味が強かったけど、今回の人参はみずみずしくて香りが立つのね」と楽しんでもらえるきっかけをつくりたい」。

坂ノ途中では、伝統野菜からおしゃれな西洋野菜まで、年間約400種類もの野菜を扱っています。これらの野菜を上手に出荷して、定期宅配のお客さんを飽きさせないのも坂ノ途中の腕の見せどころ。「この時期の野菜を、こんな角度で見ると面白いですよ」と伝え方を工夫し、お客さんの興味をかきたてます。

小野さん「定期宅配を申込んでくださるお客さんは「季節に合わせた野菜を食べたい」と思ってくださる方たち。それでも、冬場に毎週大根ばかりが届くと飽きてしまわれます。僕らの提携農家さんは基本的に季節をズラした栽培をしないので、種屋さんと連携して品種情報をもらって農家さんに提案したり、冬場の野菜のバリエーションを増やす工夫をしています」。

たとえば、ふつうの青首大根を届けた翌週には京野菜の「聖護院大根」を。その次の週は、外も中も真っ赤な大根「べにくるり」。その次には、加賀の伝統野菜「源助大根」……。料理が好きなら、こんなに楽しい野菜宅配はありません。毎回知らない野菜が届くのが面白くなってきて、「今では、子どもたちが一番に箱を開けたがる」というご家庭の声も。

現在、坂ノ途中の定期宅配の契約数は約1600件。昨年は、1年間で約600件も増えました。確実に、坂ノ途中が教えてくれる「野菜とのつきあい方」にハマる人は増えているようです。

坂ノ途中との取引から新規就農者が学べること

坂ノ途中との取引から新規就農者が学べること

2014年、第2次安倍内閣が掲げた地方創生戦略により、各地方自治体は新規就農者の育成や受け入れに積極的に取り組んでいます。この流れを受けて、新しく農業に挑戦しようとする若者も増えています。新規就農者が増えたことで、坂ノ途中の取引先にも変化はあるのでしょうか?

小野さん「昔は、新規就農をするのは「出家する」くらいの覚悟が必要で、よほど腹を括っている人しかいませんでした。就農に対する補助が手厚くなったおかげで、新規就農者に幅が出て来たのを感じています。以前は、空き農地は山奥でしか見つからなかったけれど、最近はもうちょっと里の方に条件のいい農地が空いてきて、新規就農者の経営規模も大きくなってきています。基本的には追い風だと思いますね」。

ここ数年は、新規就農者だけでなく、地域活性化のために新規就農者を呼び寄せている、地域の自治体や地方銀行から「新規就農者の作物を扱ってほしい」という問い合わせも増えているそうです。坂ノ途中との取引に至るかどうかは「農業生産にトッププライオリティを置く、プロの農家であるかどうか」。

坂ノ途中は、契約農家との密なコミュニケーションを大事にしているからです。毎日のように電話で打ち合わせをし、ときには荷姿について細やかなアドバイスも行っているそうです。

小野さん「プロ志向の農家さんとは、「他店やデパートと取引するためにも勉強になる」と言ってくれてすごく仲良くなれます。一方で、現代社会の忙しさがイヤになって山奥で農業を始めたのに、坂ノ途中と取引していたら毎日電話がかかってくるので「山奥に引っ込んだ意味がないやん!」ってなる人もいますね」。

坂ノ途中の定期宅配で届く野菜セットは、バリエーションが豊かなだけでなく、とても美しくつくられています。小野さんは「開けたときに宝箱感のあるセット」と表現されていましたが、まさにそんな感じがします。

小野さんは「開けたときに宝箱感のあるセット」と表現されていた野菜セット

ロゴ入りのダンボール箱。ちょっと取って置きたくなるデザインです。ロゴ入りのダンボール箱。ちょっと取って置きたくなるデザインです。

小野さん「お会いしにいって取引を始める農家さんは半分くらい、継続して取引関係が続くのはもう半分くらいじゃないでしょうか。農業は本当に多面的です。高齢者の生きがいのための農業も、山のなかで自給自足したい若い人の農業もあっていい。多面的だからこそ、僕らみたいな販路がひとつあれば問題解決ということにはならないし、いろんなプレイヤーが必要だし、相性という要素も大切です」。

ときとして、坂ノ途中は契約農家さんと熱い議論を重ねることもあるそうです。栽培の現場をよく知っているのは農家ですが、彼らの野菜を求める顧客の声を直接聞いているのは坂ノ途中。「100年先も続く農業」の土台を支えているのは、お互いのプロフェッショナリズムに基づき、腹を割って話し合うなかで育まれるパートナーシップなのです。

多様な野菜を、多様な人間が扱う会社でありたい

現在、坂ノ途中で働くスタッフは、アルバイトも含めると約50名。昨年採用した11名のうち6名は関東から、1名は四国から移住者で、農業分野で働いていた経験があるのは2人だけ。大学院で水産系の研究室に所属して、東南アジアに棲息する巨大ナマズを追いかけていた人もいれば、大相撲の元力士もいたそうです。

坂ノ途中で働くスタッフ

とある日の、坂ノ途中名物「まかない」ランチ。とある日の、坂ノ途中名物「まかない」ランチ。

小野さん「うちのスタッフの特徴は、「土と触れられていたら幸せ」という土着の民のような人もいれば、ビジネス界でバリバリ活躍して来た人もいて、ものすごく多様であること。いろんな経験をしてきた人が混じりながら、蛇行しながら会社をやっている感じです。

環境負荷の小さい農業は、生物多様性のうえに成立させるものです。畑には害のある菌もいるけれど、いろんな菌が共生しているから大量発生はできない。害虫もいるけれど、それを補食する天敵昆虫がいるから深刻化はしない。そのバランスのなかで、少々のことで病気になったりしない強い野菜が育っていきます」。

「『そんな農業のほうが良くないですか?』と言っている会社が、『人間の多様性は認めません』というのでは、ちょっと世知辛いじゃないですか?」と小野さんは話します。

「『そんな農業のほうが良くないですか?』と言っている会社が、『人間の多様性は認めません』というのでは、ちょっと世知辛いじゃないですか?」と小野さんは話します。

小野さん「多様な野菜を、多様な人間が集まって扱っていることが大事だと思っています。今は、ブレを許容しない文化がしみ込んできていて、「食べ物は品質が安定していないとダメ」「人間はいつも同じ安定感で仕事をしていないとダメ」という息苦しい世の中になっているんじゃないでしょうか。

どんなに手をかけて育てていても、野菜の味は天候や季節によって変化します。雨が続けば水っぽさが増し、曇りが続くと味わいが薄くなりますが、晴れが数日続くと味も香りも良くなります。同じピーマンでも、旬の終わりには“曲がり”が出やすくなります。

野菜を切り口にして「こんな風に味やかたちに違いがありますよ」と伝えるなかで、「人間も、常に同じテンションで、まんべんなく何でもこなせるとかあり得ないですよね」ということが伝わっていったら、人間にブレや揺れを許容できるもう少し息のしやすい世の中になるんじゃないかと思っています」。

坂ノ途中が目指している「持続可能な農業のあり方」は、「持続可能な社会のあり方」と一本の線でまっすぐにつながっているようです。

経営者として多様性をどう担保するか?

「人間にブレや揺れを許容する」。

この言葉を聞いたとき、「ほんとうにそうだな」と共感すると同時に、 “経営者”である小野さんが「スタッフのブレや揺れを許容する」と言い切る覚悟に驚きました。ビジネスの世界こそが効率を重視するあまり、「人間のブレや揺れ」を削ぎ落としてきたと思うからです。

ビジネスとして見る坂ノ途中は、「環境負荷の小さい農業」というテーマで、「少量不安定な生産状況にある新規就農者」と取引しながら事業モデルを構築するという、とても挑戦的な会社です。「土に触れていられたら幸せ」というスタッフと、「ビジネスの世界でバリバリ活躍してきた」スタッフの意識を合わせながら、会社をつくっていくのは並大抵のことではないはずです。

小野さん「想像以上にきついこともありましたけど、それを引き受けないのであれば、東京で効率重視で働いていた方が良かったし、自分の生き方の選択肢として、スタッフのブレや揺れも含めて引き受けていくのだろうと思います。」

さらに、ここ数年は意識的に「坂ノ途中人格」と「小野邦彦人格」を分けていこうとしているのだそう。

小野さん「人を雇っておいて、自分が美しいと思うことだけをやっていると、そのなかにいる人たちはずっと「小野邦彦ならどう考えるか?」を考えなければいけないので、息がしづらくなってしまいます。うちは、そういうのは避けるために「坂ノ途中人格と小野邦彦人格を離していくのが大事です」という話をずっとしています。僕の美学を貫きたいのであれば、こんな規模の会社にするべきじゃないと思いますね」。

近ごろでは、「僕の話は全然通らないですよ」という小野さん。各スタッフが思う「坂ノ途中っぽさ」を持ち寄って組み合わせ、ズレが出たら議論する。野菜の味が天候によって変化するように、「坂ノ途中」のあり方もまた揺れながら生成され続けているのかもしれません」。

最後に、小野さんの「京都のまち」に対する思いを聞いてみました。

小野さん「僕は、大学生になって京都に来たときにやっと息をつけた感じがあったんです。生まれ育った町では「なんでそんなことをするの?意味がわからない」と言われていたことも、京都では「おもろいなー!」と言われる。多感な時期だった僕としては、ひどく救われた気がしたわけですね。坂ノ途中もまた、僕が京都に来たときと同じように、「ここなら息がつけるな」と思ってもらえる会社でありたいと思います」。

坂ノ途中の事業と組織のあり方、そして京都というまちが「多様性」というキーワードでつながりました。

もちろん、京都にもさまざまな顔があります。でも、もし「多様性」というキーワードで表される京都に惹かれるのなら、京都への移住とあわせて坂ノ途中という会社をぜひ薦めたいと思います。野菜を切り口に、人生の新しいステージを見つけてみませんか?

文 杉本恭子
写真 望月小夜加

プロフィール

小野邦彦さん(おの・くにひこ)
「坂ノ途中」代表
奈良県生まれ。京都大学総合人間学部卒業。
学生時代はアンティーク着物にハマったり、休学してアジア圏を旅行したりと、好きなことばかりしていた挙句、専攻していた文化人類学の奥深さに気づき、ラスト一年だけちゃんと勉強する。そんな日々の中で、自分が本当にしたいことは人と自然環境との関係性を問い直すことなのだと思い至り、有機農業にその可能性を見出す。2年余りの外資系金融機関での”修業期間”を経て、2009年株式会社坂ノ途中を設立。