長崎県東彼杵町

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長崎県東彼杵町ってどんなところ?

お茶とくじらの町として、また、人と産物と情報が集まる、長崎県の玄関口として知られる東彼杵町は、かつては長崎街道の宿場町として、また平戸街道の起点として、たくさんの商人や武士、時には外国からの来訪者たちで賑わっていた町です。江戸時代初めから明治にかけての数百年間は、捕鯨と鯨肉取引の中心地として栄え、ここに陸揚げされた鯨が九州各地へ送られていました。
町内にはこうした街道や鯨にまつわる歴史の面影が各所に残されているほか、さらに昔の古墳や遺跡なども数多く見ることが出来ます。

森 一峻
(一社)東彼杵ひとこともの公社

長崎県の中央に位置し、佐賀県の県境でもある東彼杵町。お茶とくじらの町として、主幹産業は「そのぎ茶」という全国でも5%ほどの生産となる玉緑茶を生産している町です。

お茶の町としては珍しい大村湾という湾に面しているため、茶畑と海が隣接することで全国でも類を見ない景色を持つ町です。また、長崎街道、平戸街道の分岐である「思案橋」もこの東彼杵町にあります。

むかしむかしのその当時もそんな町は西海捕鯨の中継地として栄え、彼杵港に陸揚げされた鯨は長崎・平戸街道を通じて九州各地へと送られていました。参勤交代の大名長崎奉行の行列、文人、医者・留学生、商人、芸人など、多彩な顔ぶれが往来する街道には彼らが旅の疲れを癒す、場所として彼杵と千綿に宿場が置かれ、人ばかりでなく各地の農産物や海産物も集まったため商工業が発達し最盛期には三百軒もの商家が軒を連ね彼杵宿には本陣も置かれ、港としての機能も併せその賑わいぶりも格別だったようです。

行商人や旅人をお茶で癒していたと言われ、異文化・人が行き交う町だったと「思案橋」をその基点として長崎から平戸へあるいは平戸から九州各地へ人や情報を運んでいた。これら長崎街道、平戸街道、そして海路はちょうど東彼杵町の真ん中で十字状に交差する形となる場所に位置しています。

元禄の間に築かれた彼杵港、大楠の木は、シーボルトが江戸参府の際、川原慶賀に描かせた風景とほぼ変わらない姿で今もあります。江戸時代のこの町はまさに人と産物、そして情報と文化の十字路でした。

東彼杵町は彼杵町と千綿村がたしてできた町。
このプロジェクトは、現代の交差点をソリッソリッソを中心に長崎県や東彼杵町に再び呼び起こすプロジェクトでありどこか、なつかしくてあたらしい、たして・足して・たし手のあらゆる繋がりを目指してます。

齊藤晶子
さいとう宿場

お茶と鯨の町。長崎県のほぼ中心に位置する東彼杵町は、かつては長崎街道の宿場町として、また平戸街道の起点として、たくさんの商人や武士、時には外国からの来訪者たちで賑わっていた町です。江戸時代初めから明治にかけての数百年間は、西海捕鯨の中継地として栄え、ここに陸揚げされた鯨が九州各地へと送られていました。
町内にはこうした街道や鯨にまつわる歴史の面影、また、古墳や遺跡などが残っています。
長崎県のほぼ中心に位置する東彼杵町は、海と山に囲まれた風光明媚な町です。佐賀県と隣接しており、県境には段々茶畑(Tea terrace) が広がり、お茶摘みやお茶淹れ体験も可能です。ハウステンボス駅からはJR大村線で30分、また、車で30-40分圏内には、陶磁器で有名な有田や波佐見、温泉は日本三大美肌の湯である嬉野温泉があり、観光の拠点として非常に便利です。

 私の住む「東彼杵町」は波穏やかな大村湾を望む、人口約7,800人程度の小さな町です。そんな小さな町ですが、日本だけでなく世界(?)にも誇れる特産品があります。その名も「そのぎ茶」です!

 わが町の特産のお茶「そのぎ茶」は第71・72・73回全国茶品評会「農林水産大臣賞」「産地賞」 日本一W受賞、三連覇を達成したすごいお茶なのです。5月の新茶の時期には、町を挙げての「茶市」が催され、日本一となったお茶を求めて、小さな町に多くの人が訪れてくれます。

 ここ数年は移住者も多く、パン屋、カフェ、食堂、ゲストハウス等を新規立ち上げされて、どんどん賑わっています。最近では初のフランス料理屋まで出来てしまいました!

 移住者の私から見ても、住みやすい町だなあ、とよく感じます。

 

 

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