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◎企業のご紹介
今回は株式会社 諏訪田製作所さんになります!
◎企業詳細
潟県三条市にある工場の旧地名(三条市大字新保字諏訪田)を取って名付けられた諏訪田製作所は、現社長である小林知行氏が3代目を務める、創業90年の「喰い切り鍛冶」です。
喰い切りとは、鋏(はさみ)の一種で、左右の刃をすり合わせて切る一般的な鋏ではなく、刃を食い込ませて切る鋏(はさみ)のこと。
諏訪田製作所は主にクギや針金、鉄を切るためのプロが使う作業工具を問屋に卸していました。
「1926年に、三男だった祖父が奉公(ほうこう)先として入った鍛冶屋で修行を続け、結婚を機に一族経営で独立したのが、諏訪田製作所の始まりです。」
その後、日本に訪れた戦争の時代。
個人商店も戦争へと総動員される中で、諏訪田製作所でも喰い切りはもちろん、落下傘(今でいうパラシュート)の金具も国に収め続けました。
戦争が終結した1945年、戦時中の製品の収め先は戦争が終わると同時に消滅し、国からの大量注文はなくなりました。
日本中の会社や人が「これから先はどうなる?」と混乱する時代の中で、諏訪田製作所は、喰い切りの形や切れ味をそのまま手に収まる大きさにした、爪切りを作り始めます。この流れが、現在の諏訪田製作所に続いています。
決して数字だけでは判断しない。一対一の、人と人のコミュニケーション。
数字で生産性を明確化したことで、良くも悪くも個々の職人たちの売上も明確に見えるようになりました。
中には、給料に見合う働きをしていない職人も出てきます。ところが、例え人件費が工場の経営を圧迫しようとも、小林社長は職人たちの給料を減らすことは一切していません。
「『今までと変わらない給料は払うし、売上で足りていない分の金額は会社が持ちます。その代わり、1年間かけて1〜2割は売上をあげられるように頑張ろう。』と言ってきました。職人が無理なく売上を上げられるように、こちらから新しい仕事の場所を与えたり、指示をしたり、一人ひとりに合わせたフィードバックをし、10年間かけてソフトランディングしてもらうイメージでした。変化にすぐ対応できる人もいれば、どうしても時間がかかる人もいましたが、評価されていると分かればどんどん伸びていくもので、6年後にはみな給与分の売上を達成できるようになったんです。」
このような社内の体制変更を小林さんが始めたのは、社長就任以前から。ところが、この改革が原因で諏訪田を辞めていく職人は1人もいなかったといいます。ともすれば数字を突きつけてクビにすることもできたのに、決して数字だけで人を判断せず、10年スパンで職人たちと工場の成長を促すために一緒に汗をかき、支えてきた小林社長。なんと、全社員と1対1で面接をする体制まで整えていました。
「社長就任時は20人だった社員も現在は50人。さすがに日々、面と向かって会話をすることも難しくなってしまったので、年に1回くらいゆっくりと話す機会を設けたいと思ったんです。」
短い人で1時間、長い人で2日間もかけた一対一の面接を20年も続けているといいます。しかも、面接で話した内容を忘れないために、一人ひとりと話しながらパソコンで内容を記録するほどの熱の入れ様。
「面接での会話に加え、僕は日々の仕事をデータで全て把握しているので、遅刻した日のことも、生産性が落ちている時期のことも分かっている状態です。僕は、数字が下がっているという結果が出ているのであれば、その背景にどんな事情があるのかを大事にしたいんです。例えば、『家の事情なんですけど、おじいちゃんの介護が大変になってしまって…」とか。仕事の結果は『心』が決めるものだと思っています。だったら、会社外での社員の苦労や悩みも、経営者としては知っておく必要があります。」
社員のことを職人である前に「人」として見ているからこそ、距離の近さを感じる会話も生まれます。
「そう言えば、〇〇さんちのお子さんも随分大きくなったんじゃない?」
「おかげさまで受験が終わって、無事進学できました。」
毎年1対1で向き合っているからこそ、社員の子どもの年齢まで把握できている。今や燕三条を代表する有名工場のひとつとなった諏訪田でも、現場の職人と血の通った関係性が築かれているのは、こうした小林さんの配慮があってこそです。
「誰もが家庭の事情や、普段は言葉にできないような感情を持っています。デジタル的に仕事の結果を数字で蓄積しても、数字で全てを判断することは決してしません。会話を大切にし、『心』で判断しながら、デジタルとアナログ情報をアジャストして評価をしています。これから社員が増えて100人になるまでは、全員と直接向き合い続けられると思います。」
長く続いてきた鉄の歴史に携わる自分たちが、今できること
小林さんが会社として今後も変わらず続けて行かなければいけないと感じていることは、「後世に伝える』こと。
「今、私たちが扱っている『鉄』は、およそ5億年前に落ちてきた隕石が始まりだと言われています。その中で刃物は打製石器から考えると100万年以上の歴史を持っており、さらに人間が鉄を作り始めたのはたったの3000年です。遥か昔から存在し、作り続けてきた鉄を使い、人類はナイフを作り、生活の道具を作って共に生きてきたのです。」
「果てしない時を経てきた鉄の歴史を考えると、僕たちが今携わっている鍛冶屋の仕事がある今なんて、たった一瞬の話かもしれません。しかし、その1分1秒をより良い形で伝えていかなければいけないんだということを日々強く感じています。僕らが生まれてきた時から伝わってきた鉄の歴史を、次の世代に正しく伝えていく。そうやって僕たちは日々生かされているのかもしれませんね───。」
一言一言が、とても深く、重みのある小林さんの言葉。
諏訪田製作所のお話をお聞きしていたはずが、いつの間にか時をも超えた小林社長の人生観の渦に巻き込まれてしまったようでした。
日常の煩雑さに惑わされ、時に自分のことだけしか考えられなくなってしまうことも多くある中で、自分だけでなく、家族や親戚、友達や仲間、さらにもっと広い地域や国のことまで真摯に考え、日々経営の手腕を振るう小林社長。
諏訪田製作所を通して小林社長が創り出すこれからに、ワクワクする気持ちを抑えられません。
◎諏訪田製作所は一緒に会社を盛り上げてくれる仲間を募集しています!
https://www.suwada.co.jp/recruit
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https://sanjo-school.net/spblog/?p=652
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◎本記事は、三条ものづくり学校の取材した記事になります。
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ちょうどいい田舎、三条市。
新潟県三条市は、新潟県のちょうど真ん中に位置するものづくりの街。
人口は約10万人の都市で、中心市街地にいけばスーパーやコンビニが揃っており
少し車を走らせると山や自然が豊かな下田地域にもいける都会と田舎の側面を持つ地域。
ものづくりの技術は世界から認められており、グッドデザイン賞を受賞していたり、
アウトドア用品の有名ブランドのほとんどは実は三条市が本社だったりします。
三条市をもっと知りたい方は、こちらの記事もご覧ください!
https://sanjo-city.note.jp/
▼三条市HP
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人口約10万人の地方都市・三条市は、鍛冶技術の伝統を受け継ぎながらも、時代に合わせて革新を続けてきた打刃物の技が光る「ものづくりのまち」です。新幹線が止まる燕三条駅から車で約30分走ると、自然豊かな地域・下田郷が広がります。地方都市暮らしも、田舎暮らしも叶えられる一石二鳥なまちです。
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