
町長・元アスリート・若手職員と語る、日野町の“しあわせ”
公開日:2025/10/26 23:26
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2025/11/24「興味ある」が押されました!
2025/11/17日野町は、滋賀県立大学と人材育成、持続可能な地域づくりおよび地方創生に関する包括連携協定を令和4年6月2日に締結しています。本協定は、人的・物的資源を有効に活用し、地域社会に貢献することを目的として実施しているもので、今年度は、学生が日野町でフィールドワークを行い、地域で収集した情報から日野町の魅力を発信する記事を作成する取組を行っています。 本記事は成安造形大学講師(滋賀県立大学講師兼任)田口氏が作成されたものになります。ぜひ興味あるボタンを押してください。 ここからは、田口氏による本文をご覧ください。
滋賀県立大学と日野町が連携して行う「地域デザインB」は、学生が地域に入り、フィールドワークや取材を通じて町の魅力や課題を掘り起こす実践型授業です。2025年8月、「町のしあわせ、私のしあわせ」をテーマに、町長・地元出身の元アスリート・若手町職員を迎えた意見交換会が開かれました。
登壇したのは、日野町長の堀江和博さん、日野町出身で元フリースタイルスキー日本代表の伊藤さつきさん、本学卒業後に町職員となった西村空さん。進行は筆者(田口真太郎/成安造形大学講師)と、滋賀県立大学 地域共生センター 特任講師の上田洋平先生。学生たちは各チームが進めたフィールドワークで見つけた“しあわせの風景”や疑問を持ち寄り、登壇者と率直に語り合いました。
丁稚羊羹(でっちようかん)に込められた記憶と誇り
郷土菓子は、その土地の味わいとともに、作る人や食べる人の記憶を運びます。日野町の「丁稚羊羹」は、世代を超えて語り継がれるお菓子でした。
伊藤:丁稚羊羹って、世界一美味しいと思ってます。子どものころから慣れ親しんで、スキーの遠征や大会のたびに必ず持っていきました。配ると「これ美味しいね、どこの?」って必ず聞かれて、それが会話のきっかけになるんです。遠征先では地元の話をするきっかけにもなって、そこから日野町を知ってくれる人もいました。
堀江:わかるなぁ。僕も大好きでね。昔ながらの味ですが、パンに挟んでバターと一緒に食べると本当に美味しい。あんバターみたいで最高ですよ。小さい頃はおやつ代わりにしていましたが、大人になってからは来客時や贈り物にも重宝しています。
伊藤:そういえば、日野出身の格闘家・倉本一真さんも、デートのたびに丁稚羊羹を持っていってたって話してました。彼の奥さんは金メダリストの登坂絵莉さんなんですが、「毎回丁稚羊羹買ってきててん!」と話していました。羊羹を通じて人の輪が広がっていくのを見て、改めてその存在の大きさを感じました。
学生:今日、地元の方に教えてもらって実際に作ったんです。竹の皮を開けたときの香り、もちっとした食感、本格的で驚きました。作っている間も、教えてくれる方が昔の話をしてくれて温かい気持ちになりました。例えば「昔はお祭りの前日にみんなで作ってた」とか、「親戚が集まると必ずこれが出た」といったエピソードが印象的でした。
上田:羊羹は、その土地の暮らしや季節の記憶が詰まったものです。食べることで、その背景にある風景まで身近に感じられる。特に丁稚羊羹は竹皮で包まれているので、見た目や香り、手触りまでもが体験の一部になるんです。
伊藤:母がワールドカップの時に大量に持たせてくれて、チームメイトにも配っていました。お守りみたいな存在です。みんなで食べると安心する味なんですよね。
堀江:丁稚羊羹は、観光のお土産にも喜ばれます。「どこで売ってますか?」と必ず聞かれる。そうやって自然に日野町の名前が広がっていくんです。特に春の観光シーズンには、買って帰る人で行列ができることもあるほどです。
田口:今日の試食の場面でも、自然と会話が弾んでいましたね。甘さと竹皮の香り、そして“誰かと食べる”という行為そのものが、記憶に刻まれる瞬間なんだと思います。丁稚羊羹は単なるお菓子ではなく、町と人をつなぐ文化そのものですね。


合併しない町が守る自治のかたち
日野町は、周囲の市町村が合併を進める中、合併を選択しませんでした。それは単なる行政判断ではなく、町の文化と誇りに根ざした選択です。
堀江:日野町は合併の流れの中でも合併を選択しませんでした。商人の町として、自分たちで町をつくる文化が根づいているんです。江戸時代からの商人文化では、町の運営や祭りも地域の人が自ら企画し、資金も出し合ってきた。そういう自助の気風が今も生きています。
伊藤:合併しない町って今では珍しいですよね。ニュースで合併の話題を聞くたび、「あ、日野はそのままなんだ」と誇らしく思っていました。意思を持って残るって簡単じゃない。財政や効率だけを見れば合併の方が有利な場合もあるけれど、それ以上に守りたいものがあったんだと思います。
堀江:行政が何でもやるのではなく、住民が課題を見つけて動き、それを行政が後押しする。これが日野町の基本姿勢です。昭和30年代の合併で7つの村が一緒になったときも、それぞれの公民館や祭りはそのまま残しました。だから今でも、多様な色を保ったままの町になっているんです。
上田:顔の見える自治、分散型の運営は世界的にも注目されています。地域コミュニティの単位が大きくなりすぎると、人と人との関係が希薄になることがあります。日野町のように、それぞれの地域が自律的に活動できる仕組みは強いですね。
伊藤:私が子どものころ参加した公民館の行事の思い出の一つは、紙飛行機大会です。他の人に負けない紙飛行機をつくることに夢中になって楽しんでいました。紙飛行機大会や運動会、もちつきなど、準備から後片付けまで地域ぐるみでやっていたけど、あれが当たり前だと思っていましたが、今振り返るとすごいことなんですね。
堀江:日野町ではそれぞれの集落が自立しています。だからこそ、合併という枠組みに頼らなくてもやっていける。外から来た人も、少しずつ地域の輪に入っていけるような懐の深さがあります。
田口:歴史的な文脈と現代的な価値が重なっているんですね。自立した集落の集合体という構造が、この町の強みだと感じます。近年は災害対応や福祉活動でも、それぞれの地域が持つネットワークが機能しているのを見て、分散型の強さを実感しました。
堀江:そういう意味では、日野町は行政よりも町民の活動が積極的なのが特徴で、それが大きな力になっています。人口規模が小さいからこそ顔の見える関係があり、困ったときにはすぐに助け合える。これをこれからも守っていきたいですね。


ゆるやかに関わる関係人口の場
「関係人口」という言葉が使われるより前から、日野町には無理なく人と人がつながる方法がありました。長く滞在しなくても、日常の一部で関わりを持てる場があちこちに存在しています。
田口:滋賀県内でも、若者の居場所づくりが注目されています。いわゆる“第三の居場所”として、家庭や職場・学校以外で過ごせる場です。日野町では、そういった取り組みはありますか?
堀江:「若者会議」をやっています。これは20〜30代の社会人が自発的に集まり、サウナ部を立ち上げたり、町内の飲食店をマッピングして冊子を作ったりしているんです。行政主導ではなく、「やりたい人がやりたいことをやる」形式で、必要な時だけ行政がサポートします。だから続きやすいし、面白い企画が生まれる。
伊藤:「ちょっと関われる仕組み」があると、私のように町を離れて暮らしている人でも戻ってきやすいです。私は「わたむきファーム」という農業チームでお米作りをしています。年に数回の参加でも、地元との距離が自然と縮まるんです。田植えや稲刈りに合わせて帰ってきて、そのときに顔を合わせる人がいるのはとても心強い。
西村:僕は町職員1年目で、農林課に配属されています。最初は不安もありましたが、地域の人が気さくに声をかけてくれるので孤立感はありません。農作業の合間に立ち話をしたり、「最近どう?」と聞かれたり。ちょっとした会話や気遣いが、大きな支えになります。
伊藤:日野の人って押しつけがましくなく、自然な距離感で接してくれますよね。都会に住んでいると、その距離感がとても恋しくなります。
田口:「関係人口」というのは、観光客や定住者ではないけれど、地域と関わる人たちのこと。日野町にはそういった人たちが関われる“入り口”が多いと感じます。
堀江:町内にはフリースクール、カフェ、公民館、農業グループ、商工会など、関わろうと思えば入っていける場所がたくさんあります。でも、それを制度的に「ここが入口です」と決めているわけではありません。自然と接点が生まれて、徐々に関係が深まっていくほうが、この町には合っていると思います。
上田:その構造が面白いんです。役割と場所が固定されていないから、カフェや公民館が交流拠点になっています。制度で整えた「居場所」ではありませんね。
西村:僕は虫が苦手で、農林課で書類に載っている写真に驚くこともあります。でも同僚が「大丈夫?」と声をかけてくれたり、代わりに作業を引き受けてくれたり。そういうやり取りが日常の安心感につながっています。
堀江:関わり方に正解はありません。年に一度でも数年に一度でも、町に関わってくれる人が増えれば、それだけで町は強くなるんです。
まとめ 日野町の“しあわせ”は、特別な観光資源や華やかなイベントの中だけにあるわけではありません。 丁稚羊羹の甘さに込められた世代を超える記憶、合併しない選択に映し出される自立の文化、そして年に数回の関わりでも心の距離を近づける関係人口の在り方。それらはすべて、日野町が長い時間をかけて育んできた、人と人との信頼関係の積み重ねです。
この町には、「関わり方に正解はない」という柔らかさがあります。 移り住むことだけがゴールではなく、短い滞在や一度きりの経験でも、その人の中に町の景色や人の声が残り、やがてまた何らかの形で結びついていく。そうした関係の芽が町のあちこちで自然に育ち続けていることが、日野町の何よりの強みでしょう。
制度や計画では生み出せない、暮らしの手ざわり。 その積み重ねが、町をしなやかにし、未来を支えていきます。
このプロジェクトの地域

日野町
人口 2.00万人
日野町 企画振興課が紹介する日野町ってこんなところ!
日野町は、滋賀県の南東部、鈴鹿の山麓から西に広がる湖東平野に位置する町です。伝統ある歴史と豊かな自然の中に、近江日野商人の三方よしの精神と進取の気風が息づいています。
このプロジェクトの作成者
滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.60平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。















