
みんなで一緒にマキマキ鯛そうめん!~近江日野商人と日野祭を添えて~
公開日:2025/10/31 00:59
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2025/11/24「興味ある」が押されました!
2025/11/17日野町は、滋賀県立大学と人材育成、持続可能な地域づくりおよび地方創生に関する包括連携協定を令和4年6月2日に締結しています。本協定は、人的・物的資源を有効に活用し、地域社会に貢献することを目的として実施しているもので、今年度は、学生が日野町でフィールドワークを行い、地域で収集した情報から日野町の魅力を発信する記事を作成する取組を行っています。 本記事は県立大学生が作成した記事になります。ぜひ興味あるボタンを押してください。 ここからは、本文をご覧ください。
日野町は、滋賀県南東部に位置する人口約2万人の小さな町です。滋賀農業公園ブルーメの丘が観光地で、自然豊かな土地が特徴です。 その自然の豊かさから農業が盛んであり、近年はカブの一種である日野町原産の日野菜がGI認証を取得し「近江日野産日野菜」として有名です。 また、日野町には850年以上続く湖東地方最大の祭りである日野祭があります。私たちは日野祭とそれに関わる郷土料理を通して日野町の魅力、「しあわせ」について紹介します。
鯛がまるごと!?すっきりテイスト 「鯛そうめん」
日野町の郷土料理といえば「鯛そうめん」です。 鯛そうめんには、その名の通り鯛が姿煮でまるごと1匹盛り付けられます。とてもダイナミックな見た目をした料理で、日常食ではなく特別な日(「ハレ」の日)にもてなされるごちそうなのだそうです。私たちはそんな鯛そうめんに魅力を感じ、さらに詳しく知りたいと思いました。
しかし、鯛そうめんに興味をもったのも束の間、こんな疑問が浮かんできました。 「なんで鯛?」「なんで郷土料理になったの?」 などなど... 私たちは謎に包まれた鯛そうめんの真相を解明すべく、実際に作って食べてみました! 参考に、日野の伝統料理を継承する会さんが公開しているレシピを簡単にまとめておきます。
★材料★ 下処理をした鯛 1匹 そうめん 5束 竹の皮 大き目1枚 ☆だし汁 水 3L 醤油 250cc 酒 250cc みりん 300cc 砂糖 180g かつおだし(顆粒)15g 塩 30g ★作り方★ ①大鍋にだし汁の調味料と水を入れて火にかける。竹の皮に筋を入れておいて、その上に鯛をのせ、だし汁が煮上がったら静かに入れる。 ②鯛の大きさ(kg)×30(分)をめやすに、中火で煮込む。 ③火を止めて、煮汁に鯛をつけたまま1時間ほど冷ます。 ④汁を濾して別の鍋に移す。沸騰させ、水を加えて味を調整する。 ⑤そうめんを湯がく。 ⑥沸騰した汁に水切りしたそうめんを加える。鍋のまわりに細かい泡が立ち始めたら、火を消して、鯛の横に盛り付ける。
鯛そうめんを作る工程自体はそこまで複雑ではないものの、大きな鯛を煮るだけあって、かなりの時間がかかりました。また、そうめんを盛り付ける際には、鯛が海を泳いでいるように見せるため、そうめんは波をイメージして巻いておくのがポイントだそうですが、なかなかきれいにまとまりませんでした。このように、鯛そうめんには食べる側をもてなすための手間と工夫が存分に含まれていて、日野の人々の温かさを象徴するような料理なのです。
ところで、なぜ海なし県の郷土料理で海魚である鯛が使われるのか気になりませんか。特別な日に食べる「ハレ」の食べ物なので、めでたい=めで鯛なのでしょうか?残念ながら、その明確な答えは不明です。ただ、日野町はマダイの名産地である伊勢と近いうえ、古くから東海と近江をつなぐルートがあったため、海魚が流通しやすいような立地であることが深く関わっているのは確かでしょう。
では、この鯛そうめんが日野町の郷土料理として定着したのはなぜなのでしょうか。その答えには日野祭と近江日野商人が関わっています。鯛そうめんは、実は日野祭という毎年5月3日に行われるお祭りの日に、親戚や客人をもてなすために作られる行事食なのです。(近江日野商人と日野祭についてはこの後詳しく紹介します♪) この風習が受け継がれ、鯛そうめんは日野町の郷土料理になりました。近江日野商人が活躍したのは江戸時代なので、そのころから鯛そうめんが作られていたとは驚きです。
さて、気になる鯛そうめんのお味ですが、とてもすっきりとしていて上品な味わいでした。とはいえ、そうめんには鯛の煮汁が十分にしみこんでいて、口の中で鯛の風味がふんわりと広がり、箸が進みます。同時に、日野の人々が鯛そうめんに込めてきた思いと鯛そうめんが歩んできた歴史を感じることができます。魅力たっぷりの鯛そうめんを皆さんも、ぜひ日野町で味わってみてください!


日野町民の心に生きる近江日野商人の心とは?
日野町を語るうえで外せないのが「近江日野商人(以下、日野商人)」です。日野商人とは、日野町に本宅を置き全国で商売を行った近江商人です。江戸時代から明治時代にかけて活躍しましたが、堀江和博町長は、「今でも日野町の住民の中には日野商人の魂がある」とおっしゃっていました。一体、日野町民に受け継がれる日野商人の魂とはどのようなものなのでしょうか。日野商人がどのように商売を繁盛させ、どのように生きていたのかについて解説し、ひも解いていきたいと思います。 日野商人について学ぶため、近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」に訪れ、職員さんにお話を伺いました。商人の邸宅ということだけあって、敷地面積は約2000㎡におよび、日野商人が栄えていたことを体感することができます。最初に日野商人が最も楽しみにしていたと言われる日野祭のための桟敷窓(さじきまど)を紹介していただき、何百年前から続く祭りを鯛そうめんを食べながら楽しんでいる日野商人たちの姿が目に浮かびました。次に、奥座敷に案内され日野商人の邸宅の特徴について説明をしていただきました。大きな特徴として、目に見える場所に明らかにお金をかけないで、細かいところにお金をかけている点があるそうです。例えば、柱に最高級品の四方柾(しほうまさ)が使われていたり、ふすまの引手が七宝焼であったり、さりげない部分に贅沢を見つけることができます。このように日野では奥座敷に財をつぎ込む一方で、八幡では玄関に財をつぎ込んでいたことから、「八幡表に日野裏」という言葉が江戸時代からあったそうです。日野商人の他とは違う性格が少しずつ分かってきました。 次に、日野商人の商売について教えていただきました。彼らは、小さな店を東海や北関東の農村地帯に沢山出店するという方法で商売をしていました。「千両たまれば新しい店を出す」という言葉があるほど、小型店経営で発展をしていました。江戸時代には、お金で代金を貰えない時は米を対価に売買を行っていました。米は値段が不安定ですが、その米で醸造業を営むことで安定して収入を得ていたそうです。他には、どんな病気も治してしまう「万病感応丸(まんびょうかんのうがん)」と呼ばれる漢方薬がよく売れていたそうです。 さらに堀江町長から日野商人の魂について話を伺いました。日野商人は教養と文化を身に付けることを責務としていたことが特徴であるそうです。商売をする中でただ利益だけを追求するのではなく、心の在り方についても究めるという考え方を基に経営理念を築いたそうです。そのため、日野商人は地域の問題に関心をもって街道に常夜燈を寄進したり、道や橋の補修に資金を提供したりするなど、社会奉仕事業も行っていました。このような商人の信念に基づいて、日野町民は今でも町の運営に主体的に取り組む姿勢があり、町の公民館全てが活発に活動しているそうです。もう一つ、日野商人が商売をする上で大切にしていた座右の銘を教えていただきました。それは、「目先の利益よりも百年後の信頼」というものです。商売がうまくいっても決して驕らないで百年前に作られた信頼のおかげであると謙虚に先祖に感謝し、そして自分たちも目先の利益に囚われず百年後の子孫のために信頼を作ろうという気持ちが込められています。町長は、この考えに則って町の行政を担う長として自分が百年後に何を残すか考えていらっしゃるそうです。 何百年前に地域を支えた商人が大切にしていた精神を現代の町民が受け継ぎ、町を皆で作り上げる活力があるなんて魅力的だと思いませんか?日野町で長い間紡がれてきた人々の町を思う心に幸せを感じます。


鯛そうめんとつながりの深い日野祭、そして日野町のしあわせとは
ここまで、鯛そうめんや日野商人について紹介してきましたが、鯛そうめんは日野町で行われる日野祭の行事食となっています。みなさんは日野祭がどんなお祭りか知っていますか?
日野祭は、日野町で毎年5月2・3日に行われる、850年以上の歴史のある湖東地方最大のお祭りであり、馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の春の例大祭として行われています。日野祭では、16基の曳山が町内を巡回し、日野町の人々は桟敷窓という、家のベランダのような場所に赤い毛氈(もうせん)を引き、そこから家族で鯛そうめんを食べながら曳山を鑑賞します。
桟敷窓は日野祭のためだけに作られた日野町特有の建築物で、現在でも日野町内の40軒ほどの家に存在しています。また、リフォームで桟敷窓を修繕されるご家庭もあります。日野町では、リフォームで桟敷窓を修繕する費用を援助しており、桟敷窓や日野祭が町から大切にされていることがうかがえます。
昔は、日野商人が日野祭に合わせて町へ帰ってくるので、日野商人に対するねぎらいの気持ちもこめて、日野祭では鯛そうめんが振るまわれていました。日野商人は1年のうち3ヶ月ほどしか家へ戻らなかったため、日野祭が貴重な家族団欒の時間とされ、鯛そうめんはハレの心やおもてなしの心、ねぎらいの心が詰まった行事食として、今なお日野町の人々に大切に受け継がれています。
ここまで、紹介してきたように日野町には日野祭や鯛そうめん、日野商人など、様々な特色があります。今回、フィールドワークを通じ、近江日野商人ふるさと館への訪問や鯛そうめんづくり体験を通じ、日野町の人々と交流させて頂き、日野町の人の温かさや地元愛を強く感じました。これまで日野町に全くかかわりのなかった私たちに、日野町の方々は、日野町のことを優しく教えて下さり、交流を楽しんでくださっている姿がありました。また、鯛そうめん専用の道具を地元の竹を使って製作し、波を作りやすいものにしようとする姿や、おもてなしの心や工夫が詰まった鯛そうめんから、日野町の人々が伝統を誇りに思い、長く継承していこうとする姿がありました。
日野町の人々は、地元愛や人の温かさがあふれており、日野祭や鯛そうめん、1つ1つをとってもそれらを感じることができます。日野町の「しあわせ」は、イベントや日野観光スポットといった非日常的なものではなく、普段の日常生活やその地の人々の人柄とともにある、自然の豊かさや人の温かさ、強い地元愛といった部分にあると思います。そうした日野町の強みは、町民のつながりの深さや団結力の強さへとなり、助け合う町、住みやすい町の実現につながっているのではないでしょうか。日野町は、日野祭など地域のイベントでの地域内の交流が盛んにあり、やってみたいという声に応えてくれる場もある、「地域とつながる」ということが実現しやすい場所であり、地域とつながって何かしたい方や地方に移住してみたいけど馴染めるか不安といった方にピッタリの住みやすい場所だと思います。ぜひ、一度日野祭を訪れて、鯛そうめんを食べながら、日野の人々と交流し、人の温かさや日野の歴史や伝統に触れてみませんか。

このプロジェクトの地域

日野町
人口 2.00万人
日野町 企画振興課が紹介する日野町ってこんなところ!
日野町は、滋賀県の南東部、鈴鹿の山麓から西に広がる湖東平野に位置する町です。伝統ある歴史と豊かな自然の中に、近江日野商人の三方よしの精神と進取の気風が息づいています。
このプロジェクトの作成者
滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.60平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。















