
なんもないとこ?77㎞を、さらっと4時間半で巡ったとんでもない紀行【1】
公開日:2026/01/04 23:46
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2026/01/15「興味ある」が押されました!
2026/01/0912月11日、【「多賀町まるごと巡る紀行」第1回平野から山へ~多賀町をまるごとめぐる~】を開催しました。 以前、地元の人が寄ったワークショップで、このまちの自慢って何だろう??って聞いた時、出てきたのが「なんもないとこ」でした。「静かで自然がいっぱいで、空気と水がきれいで、なんもないとこ」というキーワードが多数出てきて、逆にワクワクしてしまいました。 ならば、「なんもないとこ」を、一日で巡ってみてはどうか??と地元の人対象で企画をしたのが、この「多賀町まるごと巡る紀行」でした。 その「なんもないとこ?77㎞紀行」を3回に分けて書いてみます。
多賀町の面積は135㎢、東京都23区の約5分の1。朝10時に出発して14時半までの約4時間半で巡った走行距離は約77㎞、ほぼ名古屋米原間の距離になります。主に車と少しの徒歩で、約42ある集落のうち、約30集落を通過し、集落の特徴を解説付きでさくっと巡りました。
実は、町内すべてを巡るというのは、そう簡単にできることではないのです。なぜなら、このまちは、山間部が8割なのです。道はあるものの、車が対向出来ない、落石が多く、石の特徴でタイヤがパンクしやすい。さらに、冬季は積雪凍結で通行できない、崖っぷちの崩れかけた危険箇所が多数、何かあっても携帯電話の電波がほぼ届かないということもあり、地元の人でも全集落を巡ったことがある人は、ほんのわずかだと思います。
ワークショップ後に参加者からいただいた感想は、「感動」「すごかった」「貴重な体験だった」でした。 「なんもないとこ」巡り、次回暖かくなった新緑の頃、開催したら参加してみたいですか?
このまちの玄関は中山道。いったん町外に出ます。
「すべての道は多賀に通じる」これもワークショップで出たキーワード。多賀大社への信仰、参詣道が、安土桃山や江戸期にさかのぼり、多賀大社から放射状につながっているのです。多賀大社参詣曼荼羅にも描かれる中山道沿いにある鳥居をまずは目指して出発しました。
集合場所、四手(しで)集落にある、あけぼのパーク多賀から芹川を下り、江戸期に「大垣(岐阜県大垣市)延命長寿講」が多賀大社まで徒歩で参拝するのに建てた道標を見つつ、中山道の大堀(おおぼり)(彦根市)を目指します。大堀から中山道を草津方面に南下、高宮宿を目指します。途中、多賀大社へ行くもう一つの道、大堀道を横目に車で走ります。
多賀町の玄関は彦根市高宮町になります!と、参詣曼荼羅を根拠に、この場で勝手に宣言します。中山道沿いにある多賀大社一の鳥居の周りを少し歩いて、再び車で移動。江戸期の参拝者の視線になりながら、灯篭が少ないし夜はさみしい道だったんだろうなあと、旧道を空想しつつ、近江鉄道、新幹線の高架をくぐり多賀町猿木(さるぎ)集落を右に見つつ多賀町に入ります。
旧道はキリンビール工場内に続きます。工場造成時に粕地蔵を移築した時に、ヘビがたくさん出てきて驚いた!というなんとも奇妙な地元の人から聞いた話を交えつつ、飯盛木(いもろぎ)方面に車をすすめます。車だと、ほんの数分の距離です。以前、試しに歩いてみましたが、1時間ほどかかりました。


2割の平野部からの眺望は、奈良時代いや、太平洋の海の底時代?
多賀大社ご神木、飯盛木辺りを起点に、地図上、分度器で測って110度東に開けた扇型の眺望が、多賀町の山々。その4分の1の景色が、下写真で見えている風景で、青龍山と男飯盛木が右に写っています。青龍山中腹には、中世の高級霊園、石仏谷墓跡があり、国指定になっています。 飯盛木のいわれや、お多賀杓子の話を聞きつつ、鈴鹿の山を眺め、渡来系の古墳群の境目の話、犬上川水系の水争いの話、雨乞い信仰の御池の話も。削られた山肌は、もっともっと古い時代の話で、太平洋の海の底だったところ。「古生代〜中生代の海の生物(サンゴやフズリナなど)の遺骸」が固まってできた堆積岩、石灰岩が産出される石の産地、などなどを、ざっくりと文化財センター職員から伺いました。 一面に広がる田んぼは、麦が青々と芽を出し、大豆やソバが刈られたばかりの眺望。この辺りは、東大寺荘園で水沼(みぬま)の荘だったと。ここから南東へ、犬上川南谷を目指して走ります。
中世の宗教都市跡地が現名神高速道路多賀サービスエリア!! その下の敏満寺(びんまんじ)集落の古い町並みを通り抜けます。昔ながらの醤油屋さんや糀屋さんがあります。国道307号線を渡り、大門池を左手に、山の方に向かいます。大門池は奈良時代からの古い池です。犬上川に沿って上流にどんどん走ります。


南谷へ走る道沿いの民家の庭先には必ず○○がある??
犬上川の水を分ける金屋(かなや)頭首工を越えて、富之尾(とみのお)集落から大瀧神社へ。大瀧神社の大蛇ヶ淵は昨年の晩秋、ビワマスが滝を昇り溯上しているのを見て驚きました。犬上ダムが出来るまではもっと水量も多く見事な滝だったと聞きました。 大蛇が狩人に襲いかかりそれを助けようとした犬、小石丸(こいしまる)。しかし、騒ぎ立ててうるさいと狩人に首を切られるという悲しいお話、犬胴松、犬上神社を歩いて巡り、さらに車で上流へ。
藤瀬(ふじせ)集落から犬上川が北谷と南谷が合わさる川相(かわない)集落へ。道沿い、どの集落も、民家の庭先にお地蔵さんを祀る祠があります。そして、集落の辻ごとにも地蔵堂が。多賀町に来て一番に驚いたのが、地蔵盆の風習と、お地蔵さんのお参り当番。集落ごとに地蔵盆の過ごし方が違うのにも驚きました。


このプロジェクトの地域

多賀町
人口 0.64万人

龍見 茂登子が紹介する多賀町ってこんなところ!
飯盛木(いいもりぎ・いもろぎ)は、江戸時代、桃山時代に制作された多賀大社参詣曼荼羅にも描かれています。 写真手前の木が女飯盛木、左奥が男飯盛木です。中山道高宮宿から多賀大社一の鳥居をくぐり、多賀大社への参詣道、ひらけた田んぼの真ん中にある多賀大社ご神木の存在は現在も圧倒的です。樹齢300年以上で、滋賀県の天然記念物にも指定されています。 「お多賀杓子」しゃもじの物語がこのご神木にあります。昔、元正天皇が病気になられたときに、強飯とこの木で作った杓子を献上したところ、病がたちまち平癒したと伝えられています。ご飯を盛った木、「お多賀杓子」は「おたまじゃくし」の語源にもなっています。
このプロジェクトの作成者
香川県東かがわ市生まれ 高校卒業後、県外の大学に進学 大学卒業後、東京で就職。 転職後、京都市内に住む。 結婚して、京都府木津川市に住む。 その後、天理市、奈良市に住み、 現在パートナーの実家がある滋賀県多賀町に住んで17年になります。 多賀町の自然の美しさに感動し、草花の種類の豊富さに驚き、越して来たころは植物図鑑片手に植物の名前を調べ歩きました。 2014年頃より、多賀町の民俗聞き取り調査に参加。 主に食文化について調査しています。 2019年、多賀町中央公民館オープン時に、地元の郷土料理を展示してふるまうイベントをみんなで開催しました。 2019年4月より、「多賀の食べるをつなぐ」をコンセプトにYOBISHIプロジェクトがはじまりました。 現在YOBISHIプロジェクトの代表をしています。 YOBISHIよびしとは、多賀町の方言で親戚やご近所さんを呼んで行事の時などにおもてなしをすること。 多賀町に伝わる郷土料理の聞き取り調査をして、レシピ化する活動をしています。聞き取った内容は、noteに綴り公開。また、動画撮影をしてYouTubeで少しずつ公開しています。 イベント情報はYOBISHIのInstagramアカウントで発信中。 年数回イベントに合わせて、町内全戸に「よびし通信」を発行。
















