
【おといねっぷ夢中人カタログ】VOL.1
公開日:2026/03/19 07:59
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2026/03/19【娘さんの教育移住から始まった音威子府暮らしを満喫中! 高校の寮で働くケムマキさんの「やってみよう精神」のススメ】
おといねっぷ美術工芸高等学校(おと高)には、道内はもちろん全国から多くの生徒が集まっています。その全員が暮らしているのが、高校に隣接する「チセネシリ寮」
その寮の食堂で働くケムマキさん(愛称)の娘さんも、寮で暮らすおと高生の一人です。 娘さんの進学先を全国から探していておと高の存在を知り、なんと家族そろって音威子府村への移住を決めたケムマキさん。
「もともと北海道に住んでみたかったので、娘に便乗したというわけです」と笑うケムマキさんに、村での生活についてお話を聞きました。
取材/2025年10月
面白そうな村だから、とりあえずちょっと住んでみよう
転勤族の家庭に生まれたケムマキさんは、物心つく前から全国各地を転々としながら成長しました。高校時代を寮で過ごし、卒業後は中国と韓国への留学経験もあります。
「興味があるとすぐに動いてしまうタイプで、最初に中国へ行くときもニーハオぐらいしか喋れなかったんですけど、まあなんとかなるだろうと(笑)。実際に行ってみたら、なんとかなっちゃいました」と、この頃からチャレンジングな人生を歩み続けています。ちなみに中国語と韓国語は今でも話せるそうです。
その後はさまざまな職についてキャリアアップを図り、前職は丸の内にあるベンチャー企業で営業の管理職を務めていました。
出張で全国あちこちを飛び回るような生活をしていた時に、シングルファーザーのケムマキさんをサポートしてくれていたお母様がお亡くなりになります。「それまでは仕事に専念できていましたが、2人の子どもの面倒を見る生活になったので、それが叶う仕事と場所を探していたこともありますね」
中学2年だった娘さんが美術系の高校への進学を考え始めた頃で、「公立で、美術が学べて、寮があるところ。その3つを軸に日本中を探したんですけど、そんな高校はなかなかなくて」と、ケムマキさんは当時を振り返ります。
その中でヒットしたのがおと高でした。「いろいろと調べたらもう『ビビビッ』となりまして。僕は何でも1番が好きなんですけど、北海道で1番小さな村というのがまずグッときました。高校を紹介しているサイトを見ても、生徒がすごくのびのびした表情で楽しそうに学んでいる雰囲気が溢れ出ていたので、これはいい環境だろうと直感しましたね」
それまで仕事で何度も北海道を訪れた経験はあっても、音威子府村についてはまったく知らなかったそうで、「夏は30度で冬はマイナス30度とか、人口が600人で店舗も少ないとか、生活面での懸念もありましたが、とりあえずちょっと住んでみようと」と、かなりカジュアルに移住を決めたケムマキさん。娘さんが中学3年に進級、息子さんが中学入学のタイミングで親子3人、千葉県の鴨川市から音威子府村に引っ越してきました。


まったくの未経験だった調理の仕事にチャレンジ
移住にあたって大きな問題となるのが仕事です。
「調べてみたら、村の求人がたったの1件。それが高校の寮の調理師でした」。食べることは大好きでも、料理はまったく経験がなかったケムマキさん。普通ならここで諦めるところですが、彼のチャレンジ精神が大胆な行動を促します。
「ダメ元で電話して、家族で移住したいけれど、ただ料理の経験はないという話をしてみたんです。そしたら今のボスの加藤さんが面白がってくれて、『ぜひ来なさい、面倒を見るから』と言ってくださって。本当にうれしかったですね」
無事に採用されたものの、包丁の持ち方も知らなかったケムマキさんにとって料理の世界で働くのは大変なことでした。「本当に1年ぐらい、ボスが横につきっきりで細かく教えてくださって。お給料をいただきながら料理の勉強をしているような日々でした」。
しかし、ケムマキさんには辛かったという記憶はないそうで、「本当に毎日楽しくて。職場がものすごく明るいんですよね。いつもみんなで冗談を言いながら仕事をしていて、そんな働きやすい環境というのがありがたいですね」としみじみ語ります。
120人の寮生の食事は、土・日・祝を含む毎日、朝昼夕の3食が提供されます。ケムマキさんの担当は昼食と夕食。
ほかに週3回、音威子府小中学校の児童生徒と教職員に届けるスクールランチ「おとらんち」も作っています。長年、牛乳のみを提供する「ミルク給食」方式だったところを、遠藤貴幸村長の肝いりで今年の8月25日から始まったもの。
以前は毎朝子どもたちの弁当も作っていたというケムマキさんも「保護者の方々の負担が少しでも軽くなってくれれば」と笑顔で話します。
ケムマキさんに仕事のやりがいを聞くと「生徒がおいしそうにごはんを食べている顔ですね、それにつきます」と即答。管理栄養士が作成した栄養バランスばっちりのメニューは、バラエティーにも富んでいます。
それをおいしく仕上げるのが、ボスの加藤さん率いる精鋭スタッフ。「寮生のほとんどは、卒業する頃には体が大きくなったり、ちょっとふくよかになったりするんです。毎日もりもり食べてくれた成果です。遊びに来た卒業生がよく言うんですよ、『今になってこの寮のすごさがわかりました』って」。
食べることの大切さを学ぶ意味でも、チセネシリ寮での3年間は大きな財産になるはずです。


音威子府には、都会にないものがある
縁もゆかりもない千葉から移住してきたケムマキさんにとって、4年間を暮らした音威子府村の印象はどのようなものなのでしょう?
「とにかく村の人が明るいのと、いい人が多いという印象ですね。600人しかいないから、みんな仲が良くて。よそ者だと警戒されるんじゃないかと思っていたら、歩いていても声をかけられて、すぐに顔見知りになれるような。うん、一言で言うと明るいところですね」 これまでいろいろな土地に住んできたケムマキさんにとっても、音威子府村は特別な場所になりました。
「あとは、『ないがある』という感じです。都会には何でもありますが、ここは都会にないものがあるので」。留学した当時の中国は発展する前で、日本にあるものがない環境でした。そこで、ないなりの工夫も経験した記憶が蘇ったというケムマキさん。今はインターネットもあるので、買い物にも困らないそうです。
「例えば近くにスーパーやドラッグストアがあると、なんとなく行っちゃう。でも、ここにはないので。買えないと不便なのかなと思ってたんですけど、なくても大丈夫ということに気づかされました」 以前は典型的な仕事人間で、連日朝5時から夜10時まで働いても全然苦ではなかったというケムマキさんは、村に来てから自分の視線が変わったことに気づいたと言います。
「都会で働いていた頃は、空や山を見ることなんてほとんどなかったのが、音威子府に住んでからは毎日眺めています。家から高校の寮に通うときに、八幡神社のある山が見えるんです。季節の移り変わりもよく分かるその風景が好きですね」 まっすぐに伸びた道の先にあるその山は、いつも村の人々を見守ってくれています。
ケムマキさん親子には、音威子府に来たからこそ実現できたことがあります。娘さんが高校1年の時に、文部科学省の奨学金制度「トビタテ!留学JAPAN」に採択されて、イタリアに留学したのです。
「家具修復の本場で技術を学びたいというのが目的でしたが、採択では北海道で1番小さな村から世界へというテーマが効いたように思います」。そんな娘さんを見て、留学を希望する後輩が増えたそうです。
「こんな小さな村の高校から海外に繋がるって、ちょっと不思議ですよね。でも、これからはそれが当たり前の時代になっていくような気がします」。
息子さんは音威子府小中学校から旭川高専に進み、今はそこの寮で生活しています。「電気関係に興味があったようです。小中学校の先生たちが、生徒の1人1人の興味や関心の芽をしっかり育ててくださって。進路指導も手厚いんですよ」
音威子府村のように、教育環境の充実を掲げて予算も含め注力している自治体はそんなに多くありません。「僕は小中学校での教育移住もアリだと思います。音威子府は幼稚園から高校まで、村立なので一貫教育も可能です。小さい時から美術や工芸に触れるなんて、素晴らしいと思いませんか?」と、村の教育の未来も見据えるケムマキさんです。
地方への移住を考えても、なかなか行動に移せないというのもよく聞く話です。そこで、先輩移住者のケムマキさんからのアドバイスは? 「移住への不安を、好奇心や情熱が上回ったら大丈夫だと思いますよ。シンプルに言うと、鳥肌が立つほどワクワクしたらGO!です。今までに全国各地やアジアの30か所以上に住んだ経験のある僕が、本当に面白いと感じている場所—それが音威子府村なんです」
たった1回の人生だから、今後もやりたいことは全部やってみたいと目を輝かせるケムマキさん。その「やってみよう精神」で、この村をまだまだ面白くしてくれそうです。


このプロジェクトの地域

音威子府村
人口 0.06万人

北海道音威子府村が紹介する音威子府村ってこんなところ!
北海道のほぼ中心に位置する旭川市と、最北の稚内市のほぼ中間に位置するところに、人口が600人ほどの北海道で1番小さな村(おといねっぷ村)があります。
過疎最先端地で人口は少ないけれど、その分唯一無二な地域資源(人・文化・鉄道・村立美術工芸高校・木工・芸術などなど)が沢山あります。どこの地域よりもスピード感があって、おもしろいことに敏感で、能動的でチャレンジできる方を求めている地域です。

















