募集終了

令和7年2月23日富山市最南端の秘境大長谷地区で「ながたんジビエ祭り」を開催します

イベント・体験
公開:2025/02/14 ~ 終了:2025/02/22

開催日程:

12025/02/23 01:00 ~ 2025/02/23 05:00

最新情報

プロジェクトの募集が終了しました。

2025/02/22

「興味ある」が押されました!

2025/02/19

 富山県のNPO法人白木峰と大長谷(オオナガタニ通称ナガタン)を愛する会は、富山市八尾町大長谷地区を、非常時や災害時にも生き延びることができるオールラウンドな技術を持つ、たくましい百姓が多く住み関係人口が集う村の創生を目指しています。    令和6年11月から令和7年2月まで富山県の魅力ある田園地域づくりタイプ、創出事業の支援を受けて、大長谷地区を「世界が憧れる、田園地域」にするために、地理的特性を生かし、中山間地域での持続性のある新しいライフスタイルを構築して、死ぬまで安心して住める村が終着点です。

 

 

冬の大長谷は豪雪地帯だけど、雪に閉ざされる事はなく意外と快適

 「ながたんジビエ祭」はそんな冬大長谷の美しさや楽しさを感じて、住んでみたいと思って頂けるようなお祭りにしたいと思っています。  - 富山のジビエや地元産の食材を使った料理の出店やジビエ肉の販売 - 雪遊びで自由に広場で遊んで下さい - 大長谷生まれのプロハンターでジビエ専門の精肉店主 石黒木太郎氏の狩猟に関するスライドショーと解体場見学ツアー付き講演会を開催します。  

会場の大長谷交流センター
会場の大長谷交流センター
石黒木太郎氏
石黒木太郎氏

自然の多い地域に移住や関係人口希望の方々いかがですか!

 厳しい自然環境の中でも、人間は長い間知恵を絞り仲間と協力し合って生きて来ました。  それがつい100年程前から、そのような持続性の高いライフスタイルを捨てて、海外からの輸入に頼り国内での米を除く穀物や豆の自給をやめてしまった日本で、去年米も不足するような事態になってしまいました。  安心安全な暮らしと言うお題目で、子供の頃から親や大人達が伝授して来た、逞しく生きていく術を失いかけてしまっているこの国の状況に、疑問を感じて抗いたいと思った方に来て頂きたいです。  

足跡を追い捕まえた、野生の猪のロースこの脂がしつこくなくて美味しい
足跡を追い捕まえた、野生の猪のロースこの脂がしつこくなくて美味しい
今日は大猟です。
今日は大猟です。

募集要項

イベント名

ながたんジビエ祭

開催日程
1

2025/02/23 01:00 〜 2025/02/23 05:00

費用

無料ですが、お祭りなので色々買って下さい。

集合場所

富山市大長谷交流センター 富山市八尾町内名88

NPO法人白木峰と大長谷を愛する会内大長谷ワイルド&カントリークラブ

このプロジェクトの経過レポート

このプロジェクトの地域

富山県

富山市

人口 40.49万人

富山市

猪俣正道が紹介する富山市ってこんなところ!

 富山県の県庁所在地富山市はけっこう都会で生活する上で不便さを感じる事はありません。  ただお隣の石川県金沢市のような華やかさはなく、質実剛健と言うかアピールが苦手なのは江戸時代、富山県の中で唯一富山市の部分だけが加賀百万石ではなく、分家だった事もあるのかなと、移住者として両市に住んだ経験から感じます。  観光業は富山県としては知名度で言えば黒部立山アルペンルート以外は、本当に地味でそれより生産業に力を入れておりコロナ禍でもダメージは石川に比べれば少なかったようです。  農業も石川県のように他県産の物も育てて加賀野菜と名乗ってしまうのような厚かましさは無く、コシヒカリの種籾生産日本一といった奥ゆかしさがある反面、超保守的な自民王国で変化を嫌う風土に嫌気がさして出て行く若い女性が多いようです。  なので移住者に対しては優しい事と、なんで都会からこんな所に来たのかと変わり者扱いすると言う複雑な状況にあると思います。  まあコレは日本の地方都市ではどこにでもある事なのかもしれませんが、食い物は美味いし景色は最高で、まあまあ良い所ではないでしょうか。

このプロジェクトの作成者

プロフィール画像

 東京都新宿区生まれ、20歳代前半は登山に熱中して、日本での困難な冬山登山を経てヒマラヤとヨーロッパアルプス登山経験して人並み以上の度胸とサバイバル能力を身に付ける。

 当時はなかなか登山では食って行けず、25歳で体調を崩した事もあり、料理も得意だったので調理師学校へ行きました。

 卒業して直ぐに英国で仕事見つけ、アルプスも近いと思いに渡り舟とロンドンへ行き、調理師として働き始めました。

 同時ロンドンには、日本のバブルの影響で人口数万人の日本人村が有り、本当に雑多な全都道府県出身者がうごめく善人悪人揃った面白い所で、新宿歌舞伎町以上に楽しく恐ろしい経験をしましたが、無事日本人と結婚も出来ました。

 最後の17年間は、大谷選手御用達のレストランNOBUのロンドン店の寿司カウンターで世界中のセレブを接客する貴重な経験をしたのち、ヘッド寿司シェフを勤めました。

 充実した英国での生活でしたが、50歳を過ぎ、東日本大震災後にボランティアで東北各地を回り、日本の田舎の美しさと農村漁村の人々の逞しさに多大な影響を受けました。

 女房を説得して日本に戻り全国を周り、何ヶ所の中から海か近く魚が美味しい山奥の富山市大長谷に借家を見つけ移住して、有機農業や狩猟活動とジビエ料理の開発等に熱中して10年が経ちました。

 現在は、仲間とNPO法人を立ち上げて大長谷地区の有効活用の道を模索しています。