
玄関を出たら「萩侍」。覚悟を決めて“侍移住”した中元義詮さんの志
公開日:2025/08/27 07:34
最新情報
経過レポートが追加されました!「萩侍9周年イベント『萩侍タイムスリッパー』に参加してきました‼️」
2025/12/03経過レポートが追加されました!「萩でお好み焼き屋さんをオープンした「萩侍」さんが九周年を迎えました‼️」
2025/11/29萩は着物の似合うまち。毎年10月には「萩着物ウィーク in 萩」が開催され、着物姿の観光客を見かけることもしばしば。
私が萩へ移住して間もなくの頃、まちを歩く一人のちょんまげ姿のお侍さんを見かけました。コスプレかぁ…さすがは歴史の町、気合の入った人が来るんだなぁくらいに思って最初は見ていたのですが、それから3か月経っても、半年経ってもそのお侍さんを見かけるので、「?? もしかして、萩に住んでるの?いつもあの姿なの??」どうにも気になって「なんか、侍の格好をした人が時々歩いてる気がするんですけど…」と知り合いにたずねてみました。すると… 「あぁ、萩侍さんね。夜はお好み焼き屋さんをしとるんよ。あの髪型、本当に剃っとるんよ」とあっさり答えが返ってきたので、えっ、みんな知ってるの?いつもあの姿なの?しかも本当に剃ってるの~~~!?とびっくり!!
それから半年ほど経ったある日、用事で海外からの移住者さんが営むピザ屋さんに行くと、そこにはあのお侍さんの姿が! ニューヨーク出身の店主と談笑しながらピザを食べていたお侍さんは、こちらに気がつくとちょっとシャイな感じで「よっ!」と手を挙げて挨拶し、再び静かにピザに向かいました。 侍×NYピザかぁ、シュールな組み合わせ…いやいや、維新のまちだもん、これが正しい姿よ。とちょっと混乱しながらも、萩ってすごく進んだまちだなぁと改めて感動した日でもありました。
さて、今回のインタビューはその時のお侍さん、中元義詮(なかもと・よしあき)さんです。 中元さんは毛利元就(長州萩藩の開祖・毛利輝元の祖父)の三男、小早川隆景が築城した三原城の城下町として栄えたまち、広島県三原市のご出身です。なんだか素敵なご縁ですね。 中国・四国地方のほぼ中心に位置する三原市は、温暖な気候でアクセスもよく、近代以降は工業の町として発展しました。そんな活気あるまち、三原市から萩市へ移住した経緯や、侍になった理由、お仕事などについてお聞きしてみたいと思います。
移住5年目、萩市ローカルエディターの三枝がお伝えします。
“なんとなくサラリーマン”をやめたら「侍になりたい」が残った
三枝)侍に憧れるようになったきっかけは何ですか? 中元さん)「暴れん坊将軍」が好きで、幼い頃から戦隊ものを見ているような感覚で観ていました。だから、時代劇というより松平健。松平健がかっこいいと思ったのがきっかけです。
三)どのような経緯で侍になったんですか? 中)高校卒業後は地元で就職したのですが、残業が多く4年ほどで転職し、次に勤めた会社も朝が早く、それが苦手だなぁと感じていました。その頃、京都へ旅に出て東山をぶらぶらと歩いていたら偶然、人力車の俥夫をしていた高校の同級生に出会いました。理由を聞いたら「若い時はやりたいことをやっておこうかなと思った」と。 それを聞いた時、自分は人と合わせるのも、何かをするのも苦手なのに、なんとなくサラリーマンという感じで、振り返れば何をやりたいとか考えていなかったなと思いました。
“じゃあ、わしも20代の時にやってみようかな”
旅から帰ってすぐに宮島で人力車の俥夫の募集を見つけ、1か月後には会社を辞め、初めて実家を出て一人暮らしを始めました。その友人に会ったことでガラッと変わったんです。
俥夫を始めると、上司に「将来、何をしたいか」と聞かれたので、わしは「侍が好きなので、侍になりたい」と答えました。 ちょうどその頃、武将隊ブームがあって、俥夫をしながらたまに「宮島侍」をしました。でも体力がそんなにないのと、お客さんとのコミュニケーションに一番大事な「しゃべること」が苦手で、人力車は半年で辞めました。
三)それで、どうしたんですか? 中)某求人サイトで「侍 仕事」で検索したら、萩が出たんです。嘘みたいだけどこれ、本当の話なんですよ。それで、まずは旅行に行ってみることにしました。
三)ついに萩につながったわけですね…!それからどうしたんですか? 中)萩城下町の晦事(コトコト)という店に行った時に、「侍になりたくて来た」と言ったら、店主の中原さんが「若い子が集まるバーがあるから行ってみるといいよ」と教えてくれました。実際に行ってみると、偶然お客さんの中に侍の求人を出していた方の知り合いが居て、その方がすぐに連絡をとってくれて、次の日には会うことができました。 「侍パフォーマー事業は今年度で終わるけどいいの?」と聞かれたけど、それでもいいと即答して2013年の末から翌年3月まで、侍の格好で城下町をまわって観光案内やイベントの手伝い、長州ファイブの紙芝居をしました。
三)当時おいくつだったんですか? 中)24歳です、若かった。萩で3か月間、濃厚な体験をして広島に戻り、2か月くらい休んだ後、とりあえず働こうと掛け持ちで居酒屋バイトをしながら、侍でどう金を稼ぐかずーっと考えていました。その頃に広島市から来ていた自主映画の監督と出会って映画に出たりもしました。
三)俳優デビューも果たされたわけですね。どうしてお好み焼き屋さんをやろうと思ったのですか? 中)行きつけのお好み焼き屋で、頼まれて週末だけ手伝いに入ったのがきっかけです。そこで3年くらい修業して、侍でお好み焼き屋をやろうと考え、改めて社員で入ったのですが、人と働くのが苦手で、店長と喧嘩する、揉めてしまう。仕事ができないくせにイライラする。 1年くらいして悩んでいる時に、広島でとにかくかっこいいロックンロールなおじいさんがやっているお好み焼き屋さんに行ったんです。その方に「お好み焼き焼けるの?焼けるなら今すぐ始めた方が良い。始めてしまったらもう後戻りできないから今やりなさい」と背中を押され、想定していたより2年早まりましたが、独立して始めることにしました。


関係人口から萩市民へ。逃げ道を断って覚悟の月代(さかやき)
三)お好み焼き屋さんを萩で始めようと思った理由は何ですか? 中)広島に帰った後も、2〜3か月に1度は萩に来て過ごしていました。今でいう関係人口ですね。そんなことを2年くらい続けているうちに、萩の知り合いに「もう住んだら?」と言われて(笑)。だったらあえて広島ではなく、知り合いも多い萩でやろうかなと。さっそく休日に物件を探すことにして、1回目は自転車で適当に目星をつけ、次に来た時に知り合いに条件を伝えておいたら、すぐに見つかりました。
三)すごい! どんな物件だったんですか? 中)焼き鳥屋さんの居抜き物件で、カウンターもそのまま使えるので、一発で気に入りました。それが2016年の春のことで、もう9月には萩に移り住んでいました。厨房も機器を置くだけで済んだので、ほぼ1人で掃除して11月にはオープンできました。
三)開業してみて、どうでしたか? 中)初めは顔を覚えてもらうために昼もやった方がいい、という商工会議所からのアドバイスもあって、1年間は昼も夜も営業しました。だんだんと常連さんがついてきて1年目、2年目、3年目と右肩上がりで伸びて、2019年がピークでした。お陰でエアコンや冷凍庫が壊れたた時も買い替えることができましたし、iPadを買ってAirレジを入れることもできました。
三)お店がちょうど盛り上がってきたところに、コロナ流行があったんですね。 中)コロナ前は地元客、外国人客、ビジネス系でお客さんも多かったのですが、2020年の7月にガクッと落ちて。コロナ期間中は店を休めば助成金をもらえるのですが、一人で生活して一人で店をやっているので、もし休んだら人と話さなくなるから精神的にいけんと思って開けることにしました。他のお店は19時30分ラストオーダーで20時に閉店するので、あえて深夜に営業することが多かったです。 あの頃は萩市の方達が、萩のお店を守ろうと少人数ずつで動いてくださっていたので、逆に人が動いていたという印象があります。当時はそれにすごく助けられましたし、コロナ以降は地元客が中心になって、今日に至ります。
三)髪を剃って月代にされたのは、どうしてですか? 中)以前からやりたいなとは思っていたけれど、迷いがありました。外に出れば写真を撮られますし、恥ずかしいという思いもありました。剃ったらもう後には戻れない。でも、その道を選ぶのは自分。それが嫌ならやめるしかない。 周りにどうするのか聞かれて「やります!」と逃げ道を断って剃りに行きました。 それまでは、侍の格好をして、なんだかんだ軽い気持ちでやってるんだろうと思われていたところもあったと思うんですが、月代にしたら「お、本気だったんだな」と、周囲の見る目も変わったと感じています。
三)着物を着たらこう、気が引き締まるというかスイッチが入るというのはありますか? 中)着物じゃけぇ、何か特別な気持ちになることはないですね。考えてみれば、洋服でなければいけない場所ってないんですよね。だから服も全部着物にしました。家の中でも着物とか浴衣ですね。
三)えっ、ということは…し、下着も? 中)ふんどしです(キッパリ)
三)オンとオフというか、普段は萩侍で、そうでない時はどうされていますか? 中)プライベートはある意味ないですね。玄関を出たら「萩侍」になります。一挙手一投足、頭の天辺から足の爪先まで、どこに居ても萩侍。暑そうにしない、寒そうにしない、小走りはしない。例えば警察が走っていたら、あれ、何かあったのかなと思うでしょう?なるべく下品にならないように、歩き方、姿勢にも気をつけています。


一挙手一投足、頭の天辺から足の爪先まで、どこに居ても「萩侍」
三)これから移住・起業を考えている人にメッセージをお願いします。 中)田舎はコミュニティが狭いのが特徴です。どこに行っても知り合いに会うので、「おぉ!」と1日に何回言うことか。それが嫌だと思う人もいるでしょうけど、田舎はそれが当たり前ですから。 そして、そこで暮らしを立てるには、ある程度の“覚悟”が問われていると思います。実際はそこまでとはいかないまでも、できればこちらで死ぬくらいの覚悟がないと、ちょっと難しい。 観光で来ている時は楽しいところ、いいところしか見ないですが、いざ移住となると、まずここを借りるのが大変でした。近頃はそうでないところも増えてきたかもしれませんが、物件を借りるのにも連帯保証人が必要で、いま思えば試されてましたね。 どうせコイツ、おらんなるんじゃろうなと思われていて、いや、覚悟があるなと思われた時には助けてくれたりする。だからといって、最初から頼るんじゃなくて、ある程度自分でしっかりやってから、どうしてもできないところだけ頼るようにすることをおすすめします。
三)ありがとうございました。
中元さんはあえて厳しくお話しくださっているところもあると思うのですが、同じくIターンで移住してきた者として、共感できるところがあります。 都会と田舎の違いとして一つ、建前だけで生きていけるかいけないか、という見方ができると思います。例えば大都市の場合、ほとんどが知らない土地から来た人ばかりで入れ替わりも多いですから、ルールさえ守っていれば、人付き合いは広く浅くでも、なんとなくは生きていけます。裏を返せば、相手側から見てもそれだけ薄い存在でいいということなんです。 しかし、田舎はそうはいきません。そこにとどまる人が多く、しかも空いたらなかなか入ってこない。人口が少ないぶんどうしても付き合いが狭くなってくるので、自ずと関わりも深くなります。そこを建前だけで乗り切ろうとしたって、いつまでたっても溶け込むなんてできないですし、最終的には自分が息苦しくなってしまうでしょう。
“試されていた”と中元さんは振り返っていましたが、「侍になりたい」と言って移住してきた中元さんの思いが本物なのかどうか、周囲の人は時間をかけて静かに見ていたんですね。そこには本人が無理することなく、本気で留まってほしいという願いも透けて見えてきます。 移住してきた人の本音が行動を伴ってハッキリと伝わった時、本当に受け入れられて応援してくれる人も現れる、そんなイメージでしょうか。
起業、就業、農業、漁師、芸術、第二の人生・・・いろんな移住の形があると思いますが、もしかしたら中元さんは、「侍」として移住を成し遂げた、世界でただ一人の人物なのかもしれません。
「あなたがやりたいことは何ですか?」
萩は“志”を大切にするまちです。 ちょっと大変かもしれないけれど、その過程も楽しみながら、萩であなたの志を叶えてみませんか。
取材:萩市ローカルエディター(文・三枝英恵/写真・上田晃司)


このプロジェクトの経過レポート
このプロジェクトの地域

萩市
人口 4.11万人

三枝英恵が紹介する萩市ってこんなところ!
2022年10月、その前月にオープンしたばかりの萩・明倫学舎3号館の廊下をランウェイにして、「林栄美子キモノノキカタ◇萩・着物ファッションショー」が行われました。
萩市で着付教室をされている一級着付け技能士の林栄美子先生と門下生、萩市民、地域おこし協力隊による手作りのファッションショーです。 萩市長から幼稚園児まで、あらゆる人が立場や世代を超えてモデルとして参加し、萩侍さんもそこに加わってショーを盛り上げてくださいました。
着物に袴姿は中元さんにとっては普段通りの格好ではあるものの、やはり本物の月代、刀を使ったデモンストレーションは迫力があり、ひときわ目を惹いていました。
こうして、まちと人の中に溶け込み、喜んで受け入れられている姿は、中元さんの移住が成功したことの、一つの証といえるのではないでしょうか。
このプロジェクトの作成者
こんにちは!萩市ローカルエディターの三枝です。萩・明倫学舎4号館「はぎポルト」から、地域で輝く人や楽しいイベントなどを紹介しています。わたし自身、東京からの移住者ですので、これからも移住者としての視点も大切にしながら、皆さんのお役に立てる情報をお伝えして行きたいと思っています。
【はぎポルト 開館時間】 毎週火曜日~土曜日 9:00AM~6:00PM 地域のディープな情報や空き家の提供や空き家バンクのご相談、定住相談の窓口として、どなたでも自由にお越し頂ける開放的なスペースです。キッズコーナーもありますので、お気軽にお立ち寄りください。

















