滋賀県甲良町の「三大偉人」を輩出した歴史
公開日:2024/12/11 07:43
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2024/12/11滋賀県甲良町は中世から近世にかけて、京都に近い事もあり、 日本の政治・経済活動と深い関わりを持ってきました。 特に、(佐々木道誉、藤堂高虎、甲良豊後守宗廣)の存在は傑出しており 「甲良三大偉人」として敬い町民の誇りとしています。 表題のイラストは滋賀県甲良町公認のイラストです。 左から佐々木道誉、藤堂高虎、甲良豊後守宗廣
最初にご紹介するのは 佐々木 道誉(1296年~1373年) 今から約700年前に滋賀県坂田郡山東町(現米原市)に生れた道誉は、 41歳の時、現在の滋賀県甲良町勝楽寺に移り住み勝楽寺城を築きました。 理由は京都の事変にすぐ応えるためであり、勝楽寺城は戦闘体制に適した土地 であったからだ。と伝わっています。 以降、鎌倉幕府の滅亡と南北朝、足利尊氏の室町幕府擁立に活躍し 78歳で生涯を閉じるまで勝楽寺城を拠点としました。
次にご紹介するのは関ヶ原の戦い等に功績のあった「藤堂高虎」
・藤堂高虎(1556年~1630年) 現在の滋賀県甲良町在士に生まれ 44歳の時、関ヶ原の戦いで家康に従軍し功績をたて 今治(現在の愛媛県今治市)20万石の城主となりました。 以後丹後篠山城・亀山城(京都府)の普請奉行に任ぜられ、 58歳で江戸城の普請奉行となり 61歳の時、東照宮(栃木県)の縄張りの功績で32万石の大大名となりました。 74歳でその生涯を終え、三重県津市に葬られています。
3人目に紹介するのは日光東照宮の寛永大造替の大棟梁「甲良豊後守宗廣」
甲良豊後守宗廣(1574年~1646年) 豪華壮麗、世界に誇る近世日本建築を代表する日光東照宮は、寛永の大造替によって完成したもので、甲良豊後守宗廣を大棟梁として造営したものです。 その甲良豊後守宗廣は現在の滋賀県甲良町法養寺で生まれ、 甲良家はもともと社寺の建築を担う大工をしていました。 30歳の時、甲良豊後守宗廣は幕府に呼ばれ、江戸の増上寺造営の棟梁を始めて務め、 その後、彼の業績が後世に伝えられる日光東照宮の大棟梁となったのであります。
この「甲良の三大偉人」の功績は町内のいたるところに残っています。
滋賀県 甲良町企画監理課
このプロジェクトの地域
甲良町
人口 0.64万人
甲良町役場企画監理課が紹介する甲良町ってこんなところ!
琵琶湖の東部・湖東平野に位置し 背後には鈴鹿山麓、犬上川左岸の扇状地であり 古くから良質の水に恵まれたところです。 米の産地として拓けた豊かな穀倉地帯・ 農村地域で、国宝・西明寺をはじめ 多くの文化財を擁し、藤堂高虎、佐々木道誉 そして甲良豊後守宗廣の三代偉人を 輩出しました。 東部に名神高速、湖東三山スマートインターチェンジから約5分。 公共交通はJR琵琶湖線(河瀬駅) 近江鉄道線(尼子駅)、 東海、京阪神へ好アクセスの立地も魅力です。
このプロジェクトの作成者
・1956年(昭和31年)生まれ (生まれは滋賀県日野町、42年間首都圏で暮らし、 現在も滋賀県日野町と 川崎市両方に自宅があります。 ・大学(英文学を4年間 情報管理学を2年間学習し)卒業後、 ・コンピュータ・通信・電子デバイスを作っていた 総合電気メーカーに就職しました。 NHKのプロジェクトXに出演できるような仕事 が出来ることを頭に描きながら毎日、勤務して おりました。出られませんでした。 60歳で定年退職後ふるさと滋賀県に戻りました。