
60歳からの地域移住!空き家を改修しながら地域おこし協力隊として地域貢献してきた3年間
公開日:2023/10/04 07:32
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2025/04/16「興味ある」が押されました!
2025/03/20みなさんこんにちは! 萩市ローカルエディターの上田です
皆さん夢ってありますか?
今回のプロジェクトは萩市の人を知って欲しいという一連のシリーズとなります。
話の主人公は、60歳で夢を叶えるべく萩市に移住し、地域おこし協力隊として活躍していらっしゃる廣瀬芳久さん。
ところでちょっと話は逸れますが、全国各地に約6500人いる地域おこし協力隊の年齢構成は20代、30代が全体の約7割を占めているそうです。 私上田もそこそこの年齢ですが、廣瀬さんは着任当時60歳で、全国統計によると協力隊全体の1割にも満たない非常にレアな存在。
そんな萩市の「中高年協力隊」の代表として、廣瀬さんがいかにして地域に馴染み、萩暮らしを確立していったのか…。同世代の皆さん気になりませんか?
気になりますよね?
と、いうことで色々お話しを聞いてきましたので、ちょっとお時間いただきたいと思いま〜す。
緊急事態宣言発令! この先どうなるか不安だった
3年前(2020年)、世界は新型コロナウィルス感染症の猛威にさらされていました。当然日本もそうでしたし、東京はまさにその中心地でした。
廣瀬さんは長らく東京に暮らしていましたが、常々「田舎暮らしもいいね〜」と思っていたそうですが、それは「いつか」というくらいの思いだったそうです。 しかし世の中が勝手に大きく変わる中、いつかが「今」になっていきました…。
移住というならまずは家。 2020年4月7日、東京や主要都市に緊急事態宣言が発令されたその日の晩に廣瀬さんは奥様と共に移住に向けて動き出しました。
「一晩かけて約2000件の物件を見たんですよ!」
廣瀬さんはご自身にゆかりがある九州の大分県あたりから調べられる限りの物件を調べたそうです。 私もそうですが、ある程度の年齢になってくると住まいに対する条件も“なんでもいいや”という訳にはいかなくなります。ご夫婦は、とにかく条件に合う物件がないものかと九州から徐々に東へ調査を進めました。
「そうしたら、一軒条件に合う物件があったんですよ!」
それが現在の家との出会いでした。
家は『萩市空き家情報バンク』に登録された物件でした。サービスを利用するために早速バンクに登録し内覧の申し込みをしましたが、当時は内覧ができるようになるまで4ヶ月くらいかかったそうです。
とにもかくにも…
住まいの当てができたところで、次は仕事。 萩で仕事を探しているうちに、萩市が地域おこし協力隊を募集している、ということを奥様が知り「やってみたら?」ということに。 とはいえ、自分がやれるミッションがあるのかどうか…と思っていたところ、一つだけ、元々関心があったミッションがあったので、それに応募してみることにしたそうです。
そのミッションというのが『伝建地区の街づくりと林業のブランド化』というものでした。
「実は、物件の内覧日と地域おこし協力隊の面接日が同じ日だったんですよ。なんとなく“ここに住めよ”と言われているような気がしました…」
しかし家はともかく協力隊については年齢的にも内心「どうかなぁ」と思っていたそうですが、無事採用ということになり、前述のミッションに取り組むことになりました。


町に溶け込むためにはまず町に親しむことから
「萩暮らしが始まる」といっても廣瀬さんの暮らしは、まず空き家の改修からでした。 しかも住みながら改修を進めるということで、それは苦労も多かったとのこと。空き家には家財が多く残されていて撤去するのに4ヶ月ほどかかり、その後主要な部屋など優先されるところから徐々に改修していきました。
「改修は今も途中といったところですが、まぁまぁの感じにはなりましたね」
確かに玄関からすぐに客間ともダイニングとも言えるようなスペースがあるのですが、そちらはとてもいい雰囲気に仕上がっています。
廣瀬さんが住む萩市浜崎地区は大工さんや漁師さんが多く住んでいた町で、元々は活気のある町だったそうです。しかし移住当初のイメージは、店も減り人も減り、空き家が出るような「少し寂しい感じかな?」と思える状態だったそうです。 そんな町に移住をしてきた廣瀬さんに町内の人たちは
「若い人がきた」
と言ってくれたそうです。
ご本人曰く「実際は若くないです(笑)」と仰っていましたが、町の中では若手ということになり、地域の様々なことに関わっていくことになりました。特に地元で親しまれている住吉神社で行われるお祭りの運営側について、警備などのお手伝いができたことで町の人に知ってもらい、交流を深めることができたそうです。こういったことに関われることが正直楽しく「事柄を重ねながら少しずつ町に溶け込んでいけました」と教えてくれました。
地域の人との交流を深めるという点においては、地域おこし協力隊であったことも幸いだったそうです。萩市も積極的に“人繋ぎ”をしてくれて、いきなり移住して「引越してきましたー!」というスタイルよりも断然スムーズだったと仰ってました。
また萩で暮らしてみると、東京で暮らしていた時よりも自由な時間が増えたと感じているそうです。通勤電車に揺られ往復4時間かけて自宅から仕事場へ行ったり来たりしていた日々は正直苦痛だったけれど、今は自転車で通える距離に職場があって、自宅との行き来が大変楽に。「通勤時間に縛られてた頃と比べ、時間の使い方が大きく変わりました」と話してくれました。
自分も東京住まいでしたので分かるんですが、息苦しい満員電車か爽快な自転車通勤かって言ったら断然後者ですよね。ちなみに私(上田)は現在「徒歩通勤」です(笑)
さらに廣瀬さんは「萩は食材が豊富で美味しいので栄養的にみてもここで暮らすメリットはあると思います」と、しっかりアピールしてくれました。さすがは地域おこし協力隊ですね!!
【廣瀬芳久さんのこれから】
そんな廣瀬さんですが、実は今年で協力隊の任期が満了となり卒隊されます。これからはどうするんですか? という問いに「自宅を活用してサロンのようなものをやってみたい」と語ってくれました。また奥様が萩焼を始められ、廣瀬さんは奥様の作品を飾る額やテーブルなどを木材で作っているそうで、サロンと並行して工房(のようなもの)も作って行けたらと考えているそうです。
彼は萩市に定住するまでに、東京だけでなく世界各国で暮らした経験があり、広い視野や情報、経験を元に暮らしの理想を描いていました。話をお聞きしてみると、萩に来て理想の暮らしに近づいているのかな、と感じました。
最後に 「もし同年齢の人で色々悩んでいる方がいたら、一度田舎暮らしを体験してみて欲しい。萩に同年代の人が増えたら嬉しいですし、皆さんに我が家に遊びに来て頂けたら楽しいなと思います。萩の酒でも酌み交わしながら色々お話ししましょう」 と皆さんへのメッセージを頂きました。
いかがでしたか? 今の世の中悩みの種は尽きません。しかし夢を持ち行動することで人生が変わることもありますよね。
実は取材させていただいた内容はまだまだあって、こちらではご紹介しきれないものもありました。プロジェクトトップの動画リンクをクリックしていただけると、さらに詳しい情報を観ることができますので、よろしかったら「ポチッ」としてみてくださいね。
廣瀬さんの生き方、考え方。萩暮らしイイなぁ〜と感じて頂けたら【興味ある】ボタンをクリックお願いいたします。また廣瀬さんとお話ししてみたい! という人はメッセージお待ちしています。私、萩市ローカルエディターの上田がお繋ぎします。
それでは皆さんまた次の機会に♪ 今回は最後までお読み頂きありがとうございました。


萩市ローカルエディター
このプロジェクトの経過レポート
このプロジェクトの地域

萩市
人口 4.11万人

上田晃司が紹介する萩市ってこんなところ!
今回の地域紹介は萩市浜崎地区です。 江戸時代初期に藩の「御船倉」が作られてから、漁師、商人、職人などが集まり賑わう町となりました。近世には廻船業と水産業で栄え、大正から昭和初期にはイリコや夏蜜柑などの交易で栄えました。今でも江戸時代以来の街路構成や敷地割が残り、江戸時代から昭和初期に建てられた建物が多く残され、2001年に全国で60番目の重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に指定されました。 浜崎地区は萩市中心部を形成する三角州の内側(松本川沿い)にあり、江戸期の情緒を感じさせる町並みの中で暮らすことができ、萩のシンボルの一つである指月山を一望できる美しい菊ヶ浜がすぐ近くにあります。最近では活発な町内活動が多くの人々を惹きつけ、他地域からの移住者が様々な事業を営み、相乗効果で徐々に活気を取り戻しています。 5月に行われる「浜崎伝建おたから博物館」や12月に行われる「朝市」は毎年好評で、萩市内はもちろん、他地域からのお客様も多数訪れるイベントです。
このプロジェクトの作成者
東京からのIターン移住者。プロカメラマン、エディター、デザイナーなどのスキルを活かし、萩市ローカルエディターになりました。現在は明倫学舎4号館にオープンした「はぎポルト-暮らしの案内所-」で活動中です。