【四万十町 移住者インタビュー】TURNS起業人が着任!
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公開日:2023/10/10
終了日:2024/12/31

【四万十町 移住者インタビュー】TURNS起業人が着任!

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2023年4月。ローカルライフメディアとして地方の活性化に寄り添う「TURNS」から初めての地域活性化起業人(※)として、社員が赴任した地は高知県・四万十町。山々の間に流れる日本最後の清流「四万十川」に寄り添い、人々が自然と豊かに暮らしている場所。赴任してまだ1カ月弱。でも、なんだかすでに良い予感がするこの町で、どんな暮らしが、どんな人々が待っているのか。
横浜出身、20歳。四万十町についてこれからどんどん発信しながら、地域を活性化しようと赴任した社員・鈴木優太に密着し、全12回の連載でお届けしていきます。初回となる今回は、四万十町のあらましを。

高知県・四万十町ってどんな町?

TURNSから起業人として鈴木が派遣されたのは、高知県四万十町(しまんとちょう)。東京から飛行機で約1時間半、そこからさらに西へ車で1時間ほどで到着するこの町は、2006年に2町1村が合併し誕生。人口約15,000人という小さな田舎の町でありながら、面積は東京23区と同じくらいという広さで、旧2町1村の混ざり合う多様な特色を楽しむことができる。

1番の特徴は、なんと言っても日本最後の清流・四万十川。ラフティングやカヌー、釣りを楽しむ人々や、夏には沈下橋から飛び込む地元の子どもたちの姿がこの町の川辺の暮らしを象徴している。

また、川だけではないのも四万十町の魅力。透明度の高い「興津海岸」などの海辺の暮らしや、面積のほとんどを山林が占める大正地域・十和地域などの山間での暮らしも。夜には山々の向こうに満天の星空が広がり、アウトドアやキャンプはもちろん、日常の中に山、川、海と、全ての自然がダイナミックに揃っているのが四万十町だ。

また、大自然の中で育つ農産物、水産物も豊富。特に、「仁井田米」というブランド米は、寒暖差が大きく米作に最適な気候で育てられ、優しく甘い香りが特徴的。お米日本一コンテストでは特別最高金賞を受賞している。

そのほかにも、生産量日本一を誇るショウガも有名。早朝の時間には、それらの田畑が朝霧に包まれる風景もまた、情緒溢れるこの町ならではの最高の瞬間である。

「人情深い人が多い。肌で季節を感じられるのが新鮮」

今回そんな四万十町での暮らしや四万十町への移住についてお伝えしていくのは、TURNS入社3年目・ディレクターの鈴木優太。神奈川県横浜市出身で、高校は島根県海士町の高校へ「地域みらい留学」の制度を活用し、島留学。3年間の高校生活を隠岐の島の人口約2,000人の小さな町で過ごし、卒業後、『TURNS』を発行する同社へ入社。今春、今度は四国の西南部へやって来て、間もなく1カ月が経過しようとしている。

「人情深い人が多いですね。それと、環境。車さえあれば、海も川も山も行けて、肌で季節を感じられるのは、都会から来た僕には新鮮で魅力的です。」

特に、四万十川の両岸に拓かれた、上岡集落の本村と対岸の向山を結ぶ「上岡沈下橋」が鈴木のお気に入りスポット。水の抵抗を考慮し曲線を取り入れた独特の構造をした橋の形状が、この地域ならではの風景でとても美しいという。都会での暮らし、島根県の自然とは異なる生活が、始まったばかりである。

「やっぱり人!」「お米と豚があれば生きていける」

全12回の連載をスタートするにあたり、四万十町役場で移住定住業務を担当するお2人にもごあいさつ。お話を聞いたのは、にぎわい創出課の小野川哲(おのがわさとし)さん、稲井智香(いないともか)さん。移住支援を本格的に始める以前は年間15名程度だったという移住者も、町による移住施策の本格化等により、令和3年度は年間187名と移住者に人気を集めている町の担当である。

2人はともに四万十町生まれ・四万十町育ち。稲井さんは、進学で県外へ出ていき、子育てをきっかけに四万十町へ帰ってきたUターン者だそう。

「都会でベビーカーを押して子育てをしている自分の姿を想像できなかったですね。やっぱり自分が育った環境だから」。自分が幼少期を過ごした、育ててもらった町の暮らしは、子育てのイメージをしやすかったという。

この町を知り尽くしているそんな2人にずばり、「四万十町の1番の魅力って?」。

「やっぱり人。人がいいですね」と小野川さん。稲井さんからは、「食べ物ですね。お米と豚肉があれば生きていけます(笑)」なんて答えが返ってくる。「四万十川」といったイメージや鈴木も体感している「自然が豊富」といった答えが返ってくると思いきや、実際にここで暮らしている人からすれば、自然はあたりまえ。「+α」の部分がここで暮らす理由としてしっかりとあることがわかる。

↑ 四万十町内で海に面している「興津地区」。

↑ 四万十町内で海に面している「興津地区」。

↑ 林業が盛んだった昭和19年頃にトロッコ列車の軌道橋として造られた下津井めがね橋。

↑ 林業が盛んだった昭和19年頃にトロッコ列車の軌道橋として造られた下津井めがね橋。

自然の魅力に+αを与える! 「しあわせしまんとせいかつ」の支え

自然豊かな四万十町の第一印象。観光や移住先を考える人からすれば、四万十町の入口はまずそこからが多いはず。でも、実際に四万十町で暮らすとなると、「四万十川」や「自然が豊か」という部分だけではなく、移住に対するハードルはないのか、本当に暮らしやすいのか、そんなことが気になる。

自然豊かな環境で暮らせるという魅力に、+αを加えているのが、四万十町の豊富な移住支援制度だ。

例えば、「いきなり移住を決めるのは•••」という方が最長6ヶ月滞在しながら暮らしを体験できる「お試し滞在施設」は、旧2町1村それぞれの地域に整備されており、家賃1〜2万円で借りることが可能。また、自然と触れ合いながら暮らしをしたいという方向けの農園付き住居「滞在型市民農園クラインガルテン四万十」など、暮らしながら四万十町での生活イメージを膨らますことができる支援も。

↑ 最長6ヶ月、滞在しながら暮らしを体験できる「お試し滞在施設」。

また、移住定住のための補助制度も多数あり、移住者に対する家賃補助や空き家改修の補助はもちろん、四万十町への移住体験ツアーに1人当たり上限25,000円を補助する制度も整備。さらには、県内2位の地域おこし協力隊採用数を誇り、移住者が町内で活躍できる素地も作られている。

近隣市町村と比較しても、移住に対する支援制度が充実している印象がある四万十町。詳細については、次回以降の連載でさらに深掘りしていこう。

↑終始笑顔のにぎわい創出課の稲井さん(左)と小野川さん(右)。

↑終始笑顔のにぎわい創出課の稲井さん(左)と小野川さん(右)。

↑ 最長6ヶ月、滞在しながら暮らしを体験できる「お試し滞在施設」。

↑ 最長6ヶ月、滞在しながら暮らしを体験できる「お試し滞在施設」。

四万十町役場 にぎわい創出課
プロジェクトの経過レポート
2024/04/01

「四万⼗と友だちになる」 ⼈も⾃然も地域まるごと宿を四万⼗町大正で

18660

⾼知県四万⼗町⼤正地域でゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を営む⼩野雄介さん。⼤分県出⾝、四万⼗町に移住する前は福岡県で新聞社に勤めていた。その後、地域おこし協⼒隊として 2015 年春に四万⼗町へ着任。3年間の活動を経て、⼩野さんが⾒つけた協⼒隊卒業後の道は、ゲストハウスの運営だった。⼭間の集落で、⼩野さんが開業から今も追い続けるのは「四万⼗と友だちになる」、そんな宿。こじんまりとした⼩さな地域で、⼩野さんが感じ、めざすものとは?

「サマル」。
アラビア語で「⽇が暮れたあと、遅くまで夜更かしをして友だちと楽しく過ごす」という意味があると⾔われている。

⾼知県四万⼗町⼤正地域でゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を営むのは、⼩野雄介さん(44)。
⼟佐⼤正駅の⽬の前にあった元旅館を改装し、2018年7⽉からゲストハウスとして運営をしている。

⼩野さんは、元々、地域おこし協⼒隊として2015年4⽉、四万⼗町へやってきた。⼤分県豊後⼤野市出⾝の⼩野さんは、⾼校卒業後、愛知県の⼤学へ進学。その後、京都や福岡県で働きながら⽣活をしていた。

四万⼗町へ来る以前、新聞社へ勤務していた⼩野さんは、紙離れが進む世の中で、⾃分が働く業界の⾏く末を考えるようになった。そして、2011年、東⽇本⼤震災が発⽣。それまでにも⾃分の⼈⽣をどうしていこうかと考えていた⼩野さんが、「移住をしよう」と考えるきっかけになった。

移住することを現実的に考え始めた⼩野さん。インターネットで移住先を検索する中で⽬を引いたのが⾼知県だった。

「インターネットで移住先を探していた時に、いくつか移住に対して⼒を⼊れているなと思う県があったんです。その中でも、⾼知県には『移住コンシェルジュ(※)』という制度があったので、その制度を利⽤して、コンシェルジュの⽅に相談してみたんです」

「今度⼤阪で⾼知県の移住相談会があるから来てみたらどうですか」とコンシェルジュに誘われ、実際に相談会へ赴き、出会ったのが四万⼗町だった。

「協⼒隊になりたいと思っていて、協⼒隊になるならどこの市町村が良いのか、選ぶ基準を⾃分の中でもうけていたんです。⼀つは、先輩協⼒隊がすでに活動していること。もう⼀つは、ミッション(活動内容)が⽤意されているということ。その⽅が活動もしやすいだろうし、新しい地域にも溶け込みやすいと思って。四万⼗町はその⼆つともがクリアになっていたので、決め⼿になりました」

2015年4⽉、⼩野さんは地域おこし協⼒隊として四万⼗町⼤正地域へ着任した。

「協⼒隊の活動が終わる3 年後への不安は漠然とありましたけど、暮らしていく上での不安はほとんどなかったですね。⼤正に来たばかりの時も『あ、案外暮らせるな』っていう感じでした」

居酒屋もスーパーもすぐそばに、コンビニにも20分ほど⾞を⾛らせればたどり着くということで、そこまで不便さを感じなかったという。

協⼒隊として地域活性化のために活動をする中で、⼩野さんの頭に浮かんだ3年後の道がゲストハウスだった。

ゲストハウスの建物に併設されている「⼟佐⼤正駅前にぎわい拠点」は、当時⼩野さんが大正地区の協⼒隊らとともに作った場所で、観光案内所・休憩所を兼ね、地域の拠点として⼈が集まる場所にと構えたという。当時は同期が4名いて、毎⽇交代で店番をしながら、⼤正地域に住む⼈々や町外から来る観光客などとよく会話をしていた。その際、「四万⼗町って、遊びには来るけれど泊まることはない。泊まるのは⾼知市や四万⼗市」という声をよく聞いた。

⼤正の中心市街地には当時、宿泊施設が⼀軒のみ。

「せっかく町外から⼈が来てくれても、泊まらずに帰ってしまう。それがなんだか寂しいな、残念だなっていう気持ちがあったんですよね」

そういった現状を何とかできたらと、にぎわい拠点と隣接する建物が空き家となっていたことから、「ここでゲストハウスができるのでは」と、協⼒隊の活動を始めて⼀年を迎える頃、⼩野さんの中での構想が膨らみ始めた。

その後、岡⼭県倉敷市で開催されたゲストハウスの開業をめざす⼈向けの合宿へ参加をしたり、協⼒隊卒業後に開業したという⼈が営むゲストハウスへ視察に⾏ったりと、「どうして宿を開くのか」「開くためにはどのように料⾦設定をしたら良いか」など、⾃分の考えの整理から開業・経営のためのノウハウを学んでいった。

無事3年間という協⼒隊の任期を終え卒業し、2018年7⽉、⼩野さんはいよいよゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を⼤正地域にオープンさせた。

⼩野さんが開業前に参加した倉敷での合宿の時に考えた宿のコンセプト、それは、「四万⼗と友だちになる」というもの。そのコンセプトは今でも変わっていない。

「四万⼗町に来た⼈が、友だちに会う感覚でまたここに戻ってきてほしい、そんな意味を込めています。四万⼗町の⼈や⾃然など、この地域と友だちになってほしくて、『地域まるごと宿』をめざして運営しています」

宿にはキッチンが備えられているが、⼩野さんは宿泊客に対し、「できるだけ外へ⾷べに⾏ってほしい」とお願いをする。それは、「地域まるごと宿」をめざす⼩野さんの思いがあってのこと。

「ここの地域には居酒屋が2軒。夜はそこに⾏って、居酒屋の⼈や地域の⼈と友だちになってほしいんです。居酒屋さんもうちのお客さんに良くしてくれて、可愛がってくれて、すごくありがたいなぁと思います」

⼩野さんの宿に泊まったお客さんが近くの居酒屋に⾏き、居酒屋の店主と仲良くなり、居酒屋の店主がその後、そのお客さんが住む広島県まで遊びに⾏っていたことがあったり、海外から来たお客さんが⼤正地域の⼀般住⺠と仲良くなり、2泊⽬にはその⽅の⾃宅でBBQを楽しんだりというエピソードもあるという。

⼩野さんがめざす「四万⼗と友だちになる」「地域まるごと宿」が形になっている。

それは、協⼒隊として地域の中に⼊り活動をしてきた過去の3年間と、⼩野さんの宿に対する明⽩なコンセプト、そして、⼤正というこじんまりとした地域の特性が絡み合った結果のようにうかがえる。

「協⼒隊の頃からそのままこの地域に残っているので、『地域づくりにすごく関われているな』と、やりがいを感じています。この地域では⼀⼈の役割がとても⼤きいんですよね。『地域まるごと宿』というのも、⼤正じゃなかったら実現できなかったかなと思います」

⼩さな集落で、四万⼗町の中⼼部からは30 分ほどかかる、決して100%便利とは⾔えない⼭間の地域だが、居酒屋があり、お好み焼き屋があり、⼩・中・⾼校、銀⾏や郵便局、酒蔵まである。だからこそ、⼤正にやってきた⼈たちを地域のあちらこちらへと案内ができる。

「東京ディズニーランドと同じくらいの広さに、全てが集約されているんですよね。それを⼀⽇で楽しめるっていうのは、すごく魅⼒的だなと思うんです」

⼩さな範囲に魅⼒がたくさん転がっている⼤正で、ゲストハウスを運営して5年。すでに宿のコンセプトや⽬標は達成しているようにも⾒える⼩野さんが、この地で考える未来のこと、それは、「この先も適度ににぎやかな場所であってほしい」ということ。

「すごくたくさんの⼈に来てほしいわけではなくて、適度ににぎやかな場所であってほしいなと。今あるお店たち、それを守っていけるくらいの活発さはこの先もあってほしいなと思います。それに、あと少しだけお店が増えたらなお嬉しいですね。⾃分がここで宿を始めた頃から、⼤正で新たにお店をしようとしてくれている⼈も増えているんです。旅⼈やお客さんがこの地域に来た時に、歩いて回って、そんなに退屈にならないくらいのお店があったら嬉しいなって思います」

協⼒隊としての3年間、そしてゲストハウスを始めてからの5年間、地域と友だちであり続け、お客さんを新たな友だちとして受け⼊れ、繋いできた⼩野さんだからこその、優しい願いが⼤正にある。

※⾼知県内への移住を希望する⼈に対し、相談や希望に合った地域の提案、現地訪問のコーディネートなどをしてくれる。

▼掲載サイトはこちら
https://turns.jp/94167
(TURNS転載)

2024/04/01

「四万⼗と友だちになる」 ⼈も⾃然も地域まるごと宿を四万⼗町大正で

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⾼知県四万⼗町⼤正地域でゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を営む⼩野雄介さん。⼤分県出⾝、四万⼗町に移住する前は福岡県で新聞社に勤めていた。その後、地域おこし協⼒隊として 2015 年春に四万⼗町へ着任。3年間の活動を経て、⼩野さんが⾒つけた協⼒隊卒業後の道は、ゲストハウスの運営だった。⼭間の集落で、⼩野さんが開業から今も追い続けるのは「四万⼗と友だちになる」、そんな宿。こじんまりとした⼩さな地域で、⼩野さんが感じ、めざすものとは?

「サマル」。
アラビア語で「⽇が暮れたあと、遅くまで夜更かしをして友だちと楽しく過ごす」という意味があると⾔われている。

⾼知県四万⼗町⼤正地域でゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を営むのは、⼩野雄介さん(44)。
⼟佐⼤正駅の⽬の前にあった元旅館を改装し、2018年7⽉からゲストハウスとして運営をしている。

⼩野さんは、元々、地域おこし協⼒隊として2015年4⽉、四万⼗町へやってきた。⼤分県豊後⼤野市出⾝の⼩野さんは、⾼校卒業後、愛知県の⼤学へ進学。その後、京都や福岡県で働きながら⽣活をしていた。

四万⼗町へ来る以前、新聞社へ勤務していた⼩野さんは、紙離れが進む世の中で、⾃分が働く業界の⾏く末を考えるようになった。そして、2011年、東⽇本⼤震災が発⽣。それまでにも⾃分の⼈⽣をどうしていこうかと考えていた⼩野さんが、「移住をしよう」と考えるきっかけになった。

移住することを現実的に考え始めた⼩野さん。インターネットで移住先を検索する中で⽬を引いたのが⾼知県だった。

「インターネットで移住先を探していた時に、いくつか移住に対して⼒を⼊れているなと思う県があったんです。その中でも、⾼知県には『移住コンシェルジュ(※)』という制度があったので、その制度を利⽤して、コンシェルジュの⽅に相談してみたんです」

「今度⼤阪で⾼知県の移住相談会があるから来てみたらどうですか」とコンシェルジュに誘われ、実際に相談会へ赴き、出会ったのが四万⼗町だった。

「協⼒隊になりたいと思っていて、協⼒隊になるならどこの市町村が良いのか、選ぶ基準を⾃分の中でもうけていたんです。⼀つは、先輩協⼒隊がすでに活動していること。もう⼀つは、ミッション(活動内容)が⽤意されているということ。その⽅が活動もしやすいだろうし、新しい地域にも溶け込みやすいと思って。四万⼗町はその⼆つともがクリアになっていたので、決め⼿になりました」

2015年4⽉、⼩野さんは地域おこし協⼒隊として四万⼗町⼤正地域へ着任した。

「協⼒隊の活動が終わる3 年後への不安は漠然とありましたけど、暮らしていく上での不安はほとんどなかったですね。⼤正に来たばかりの時も『あ、案外暮らせるな』っていう感じでした」

居酒屋もスーパーもすぐそばに、コンビニにも20分ほど⾞を⾛らせればたどり着くということで、そこまで不便さを感じなかったという。

協⼒隊として地域活性化のために活動をする中で、⼩野さんの頭に浮かんだ3年後の道がゲストハウスだった。

ゲストハウスの建物に併設されている「⼟佐⼤正駅前にぎわい拠点」は、当時⼩野さんが大正地区の協⼒隊らとともに作った場所で、観光案内所・休憩所を兼ね、地域の拠点として⼈が集まる場所にと構えたという。当時は同期が4名いて、毎⽇交代で店番をしながら、⼤正地域に住む⼈々や町外から来る観光客などとよく会話をしていた。その際、「四万⼗町って、遊びには来るけれど泊まることはない。泊まるのは⾼知市や四万⼗市」という声をよく聞いた。

⼤正の中心市街地には当時、宿泊施設が⼀軒のみ。

「せっかく町外から⼈が来てくれても、泊まらずに帰ってしまう。それがなんだか寂しいな、残念だなっていう気持ちがあったんですよね」

そういった現状を何とかできたらと、にぎわい拠点と隣接する建物が空き家となっていたことから、「ここでゲストハウスができるのでは」と、協⼒隊の活動を始めて⼀年を迎える頃、⼩野さんの中での構想が膨らみ始めた。

その後、岡⼭県倉敷市で開催されたゲストハウスの開業をめざす⼈向けの合宿へ参加をしたり、協⼒隊卒業後に開業したという⼈が営むゲストハウスへ視察に⾏ったりと、「どうして宿を開くのか」「開くためにはどのように料⾦設定をしたら良いか」など、⾃分の考えの整理から開業・経営のためのノウハウを学んでいった。

無事3年間という協⼒隊の任期を終え卒業し、2018年7⽉、⼩野さんはいよいよゲストハウス「EKIMAE HOUSE SAMARU」を⼤正地域にオープンさせた。

⼩野さんが開業前に参加した倉敷での合宿の時に考えた宿のコンセプト、それは、「四万⼗と友だちになる」というもの。そのコンセプトは今でも変わっていない。

「四万⼗町に来た⼈が、友だちに会う感覚でまたここに戻ってきてほしい、そんな意味を込めています。四万⼗町の⼈や⾃然など、この地域と友だちになってほしくて、『地域まるごと宿』をめざして運営しています」

宿にはキッチンが備えられているが、⼩野さんは宿泊客に対し、「できるだけ外へ⾷べに⾏ってほしい」とお願いをする。それは、「地域まるごと宿」をめざす⼩野さんの思いがあってのこと。

「ここの地域には居酒屋が2軒。夜はそこに⾏って、居酒屋の⼈や地域の⼈と友だちになってほしいんです。居酒屋さんもうちのお客さんに良くしてくれて、可愛がってくれて、すごくありがたいなぁと思います」

⼩野さんの宿に泊まったお客さんが近くの居酒屋に⾏き、居酒屋の店主と仲良くなり、居酒屋の店主がその後、そのお客さんが住む広島県まで遊びに⾏っていたことがあったり、海外から来たお客さんが⼤正地域の⼀般住⺠と仲良くなり、2泊⽬にはその⽅の⾃宅でBBQを楽しんだりというエピソードもあるという。

⼩野さんがめざす「四万⼗と友だちになる」「地域まるごと宿」が形になっている。

それは、協⼒隊として地域の中に⼊り活動をしてきた過去の3年間と、⼩野さんの宿に対する明⽩なコンセプト、そして、⼤正というこじんまりとした地域の特性が絡み合った結果のようにうかがえる。

「協⼒隊の頃からそのままこの地域に残っているので、『地域づくりにすごく関われているな』と、やりがいを感じています。この地域では⼀⼈の役割がとても⼤きいんですよね。『地域まるごと宿』というのも、⼤正じゃなかったら実現できなかったかなと思います」

⼩さな集落で、四万⼗町の中⼼部からは30 分ほどかかる、決して100%便利とは⾔えない⼭間の地域だが、居酒屋があり、お好み焼き屋があり、⼩・中・⾼校、銀⾏や郵便局、酒蔵まである。だからこそ、⼤正にやってきた⼈たちを地域のあちらこちらへと案内ができる。

「東京ディズニーランドと同じくらいの広さに、全てが集約されているんですよね。それを⼀⽇で楽しめるっていうのは、すごく魅⼒的だなと思うんです」

⼩さな範囲に魅⼒がたくさん転がっている⼤正で、ゲストハウスを運営して5年。すでに宿のコンセプトや⽬標は達成しているようにも⾒える⼩野さんが、この地で考える未来のこと、それは、「この先も適度ににぎやかな場所であってほしい」ということ。

「すごくたくさんの⼈に来てほしいわけではなくて、適度ににぎやかな場所であってほしいなと。今あるお店たち、それを守っていけるくらいの活発さはこの先もあってほしいなと思います。それに、あと少しだけお店が増えたらなお嬉しいですね。⾃分がここで宿を始めた頃から、⼤正で新たにお店をしようとしてくれている⼈も増えているんです。旅⼈やお客さんがこの地域に来た時に、歩いて回って、そんなに退屈にならないくらいのお店があったら嬉しいなって思います」

協⼒隊としての3年間、そしてゲストハウスを始めてからの5年間、地域と友だちであり続け、お客さんを新たな友だちとして受け⼊れ、繋いできた⼩野さんだからこその、優しい願いが⼤正にある。

※⾼知県内への移住を希望する⼈に対し、相談や希望に合った地域の提案、現地訪問のコーディネートなどをしてくれる。

▼掲載サイトはこちら
https://turns.jp/94167
(TURNS転載)

2024/03/04

職人への憧れ、友人の充実感から四万十町の鍛冶屋に

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昨年3月、東京から高知県四万十町へ移住してきた小原さん一家。
きっかけは、サラリーマンだった夫・功義さんが、150年ほど前より四万十町で土佐打刃物を作る鍛冶屋「黒鳥」に弟子入りすると決めたことだった。
それから1年。黒鳥で働く功義さんと東京生まれ東京育ちの妻・雅江さん、そして2歳になった娘さん。仕事も暮らしも180度変化した四万十町での新たな生活は?

埼玉県出身の小原功義(かつよし)さんと東京都出身の雅江(まさえ)さん夫妻は 2023 年3月、 それまでの東京での暮らしから離れ、訪れたことのなかった高知県四万十町での暮らしをスタートさせた。

大学卒業後、大手企業へ就職した功義さん。勤め出して6年ほどが経った頃、ふとこの先のことを考えたという。

「その頃働いていた会社では配属先が変わることも頻繁で、その度に仕事も人間関係も一からまた作っていかなければならないことが多かったんです。人前で話をしたり、一日中パソコンに向かってのデスクワークも得意ではなかったので、日々少しずつストレスが溜まっていきました。 ずっとサラリーマンとして働き続けることに対して、幸せな未来がイメージできなかったんです」(功義さん)

そんな時、たまたまYouTube で鍛冶屋で働く男性の姿を見た。昔から抱いていた「職人」という仕事への憧れ。素直にかっこいいと思った。普段から料理をすることが好きだった功義さんは包丁へも興味があり、自然と「鍛冶職人」という仕事に目を向けたという。

一度立ち止まり、自分の将来のことを考え始めたそんな時、大学時代の後輩の結婚式に出席する機会があった。そこで功義さんは 2人の同級生と再会する。

「大学時代、ボート部に所属していて、その後輩の結婚式があったんです。そこで久しぶりに再会した同級生2人。一人は大学卒業後、アメリカで料理の修行をして今は夫婦でキッチンカーを走らせていました。もう一人は大学卒業後に『やっぱり医者になりたい』と思い、2~3年かけて勉強をして、医学部に入っていました。同級生だけど自分よりも3歳ほど年上で、それなのにいまだに学生をしている。そんな2人と再会をして、多分どちらも大変なんだろうけど、表情がすごく生き生きしているように映ったんです」(功義さん)

「自分のやりたいことをしている人の方がきっと幸せなんだ」とその時に感じた功義さんは、ついに鍛冶職人になることを決めた。しかし、自分一人の人生ではない。家族がいる。

功義さんが「鍛冶職人になりたい」という夢を妻・雅江さんに打ち明けたのは、まだ子どもを授かる前のことだった。雅江さんは最初こそ驚いたが、当時の会社で懸命に働いていた様子や新しい道に向けて色々と調べている熱意のある姿を間近で見ていたこともあり、 「思いつきで言っているのではないな」と感じていたそう。

「最初はびっくりしましたけど、彼の本気度も伝わってきて。複雑な思いもありましたけど、とりあえず、検討してみようかって」(雅江さん)

「やっぱり一人ではないので、なるべく妻にも負担のかからない形で移住をしたいなという思いがありました。『鍛冶職人になるために移住をしたい』と言い出してから移住するまでに 2 年間、 ゆっくりと段階を踏みながら進めました」(功義さん)

その後移住先を探す中で、高知県土佐刃物連合共同組合による「鍛冶屋創生塾(※1)」と出会った功義さん。「無給」「住み込み」というイメージがあった修行が、助成金を受けながらできるというこの制度は、家族がいる功義さんには嬉しいものだった。これをきっかけに、まずは現地に行ってみようと、初めて高知を訪れることとなっ た。1カ月間の高知滞在中、功義さんが出会い惚れ込んだのが、四万十町にある鍛冶屋「黒鳥」だっ た。

「お店に伺った時、まず『かっこいい』という印象がありました。土佐打刃物の昔からの良さを活かしながら現代のニーズに合わせた刃物が置いてあり、『あ、これを作りたい』と思ったんです。それと、誰に教えてもらうのか、誰が師匠になるのかということが自分の中ですごく大事だなと思っていたので、滞在期間中は今の師匠の梶原弘資さんに何度か同行させてもらいました。その中で『この人の弟子になりたい』と思ったんです」(功義さん)

黒鳥が作る製品、そして師匠の人柄に魅せられ、功義さんは自分の新しい道に「黒鳥」を選んだ。

また、高知への移住を決める際、「とてもありがたかった」と功義さんが話すのは、高知県UIターンサポートセンターの移住コンシェルジュ(※2)の存在。黒鳥で働きたいと心に決めた時、スムーズに移住、勤務ができるよう各方面への問い合わせをしてくれ、手厚くサポートしてくれたという。

「心強かったし、一人じゃ無いんだという気持ちにさせてくれました」(功義さん)

2月上旬、黒鳥で働く功義さんを取材に訪ねると、驚いたことに、功義さんと同年代の男性が他にも数名働いていた。黒鳥では、6代目の梶原弘資さんの代になって以降、積極的に弟子を受け入れているという。

「これだけお弟子を抱えられる鍛冶屋って、多分少ないんじゃないかなと思います。ありがたいことに、今は注文が多く人手が足りないくらいなんです。弘資さんは昔気質に『これだけやっていればいい』という感じではなく、ちゃんと私たちの意見も聞いてくれます。自分が働きたいと言った時も、快く受け入れてくれました」(功義さん)

黒鳥の環境で働いたこの1年間、辛いと思うことが一日もなかったという。それは、「失敗してもいいからやってみろ」と師匠が構えてくれていること、そして、「積み上げていける」という特徴のある鍛冶屋の仕事のおかげだと話す。

「技術をものにするまでには時間がかかりますが、それが全然苦にならない。サラリーマン時代は、 異動があるとそれまでに身につけたことが活かせなくなってしまうことが嫌だったんです。今は反対に、積み上げたことが無駄にはならずに生きてくるので、楽しいですね」(功義さん)

自分の夢を打ち明けてくれた夫の気持ちを尊重し、複雑な思いを抱えながらもともに決心をして 四万十町へ移り住んできた雅江さんも、四万十町に来て良かったという気持ちは一緒だという。

雅江さんは現在、移住相談員として自分たちと同じように移住を検討している方の相談に乗ったり、移住者向けの住宅や空き家紹介などの仕事をしている。移住前、まだお腹の中にいた子も今では2歳になり、 周囲の環境も家族のライフスタイルも、ガラッと変わった。

「この町では、人との接し方が東京にいた頃とは全く違う。東京にいた頃は誰かに親切にしたくても、自分の気持ちが伝わらないこともあって、人の優しさを感じることが少なかったんです。 でも、ここでは当たり前に人に対して優しくできる。こっちに来て初めて素の自分でいられるような気がしています。スーパーでおじいちゃんに声をかけられて、『冷凍のうどんはどこかねえ』 なんて聞かれて、『あっちですよ』と答える。東京では話しかけられるだけで怖いじゃないですか。 お互いが疑心暗鬼でいなきゃいけない。でも、こっちではそれが一切なくって。そこが一番良か ったなって思います」(雅江さん)

「四万十町に来て良かったと思いますか」という2人への問いに、真っ先に「それはもちろん」 と答えたのは、雅江さんの方だった。

大都会の中で過ごしてきた2人が、山間の地で一年間、小さな子と共に新たな暮らしを築き始めた。まだ始まったばかりだけれど、今の暮らし、そしてこれからの暮らしに対して抱いている思いは、「キラキラ」以外の何物でもない。

「弘資さんと黒鳥を盛り上げて、大きくしていきたいです。一緒に頑張って四万十町を盛り上げて、多くの人に来てもらえる場所にしたい」(功義さん)

「こ近所の方や町民の皆さんに本当に良くしてもらっていて、 たくさん助けていただいていて。 その恩返しに、 四万十町のためにできることをしていきたいなって思います。どこを切り取っても絵になるような自然豊かなこの町で、 のびのび子育てをしていけたら」(雅江さん)

都会で生まれ育ち、 地元を離れることを想像もしていなかった。 そんな時もあったけれど、今は高知県四万十町に、そこで暮らす小原家に、「キラキラ」とした世界、 未来が広がっている。

「最初は家の周りに街灯がなくて怖かったけど、星空がすごく綺麗なので、今はむしろ『街灯消えないかな』って、思っているくらい」(雅江さん)

鍛冶屋という生業を中心に、小原家の新たな生き方が四万十町で始まっている。

※1 高知県土佐刃物連合協同組合による鍛冶研修生の育成プログラム。2年間をかけて将来高知県内にて独立し鍛冶屋を目指す鍛冶研修生を育成するもの。
※2 高知県内への移住を希望する人に対し、相談や希望に合った地域の提案、現地訪問のコーディネートなどをしてくれる。

▼掲載サイトはこちら
https://turns.jp/92537
(TURNS転載)

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四万十町
~しあわせしまんとせいかつ~が紹介する四万十町ってこんなところ!

遊ぶ。泳ぐ。捕まえる。癒される。・・・四万十町の一番の魅力は、やっぱり町の中心を悠々と流れる四万十川。

四万十川には、いつも人の姿があります。川で泳ぐ子ども、川エビを釣る漁師、アユ狙いの釣り人…。
それもそのはず、四万十川は国交省により前年に実施した1級河川の水質調査結果、
「水質が最も良好な川」に選ばれている。これは全国の159河川のうち18河川が選ばれた全国屈指の清流と認められています。透視度は、なんと100センチ以上で最高水準のランクA!

※透視度とは、河川の水質状況を表す指標。高ければ高いほど澄んでいることを表す。

美しい川の源は、土壌ゆたかな緑あふれる山々。
山から生まれた水は美しい清流となり、その清らかな水が海へと流れ込みます。

ここには、自然の循環の一部としての人間の営みがあります。

☆四万十町移住定住ポータルサイト『しあわせしまんとせいかつ』
 https://shimanto-iju.jp/

☆四万十町地域おこし協力隊 HP
 http://shimantocho-chiikiokoshi.jp/

☆四万十町地域おこし協力隊 Facebook
 https://www.facebook.com/towakyoryokutai

日本最後の清流「四万十川」の中流域に位置するまち高知県四万十町。四万十川に代表される風光明媚な自然に囲まれ、集落の多くは四万十川とその支流の河川沿いや台地上にあり、窪川地区の南東部には太平洋に面した漁村が広がっています。
まちは、「~しあわせ しまんと せいかつ~」をコンセプトに、仕事・遊び・暮らしの環境の充実を目指し、暮らす人々が笑顔になれるまちづくりに力を入れています。

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お試し滞在施設、なかなかいいですね。
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