
54歳で大手上場企業を退職、石垣島で6次産業化に挑戦する理由
公開日:2025/07/28 00:17
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2025/10/30「興味ある」が押されました!
2025/10/10兵庫県出身の石井さん(54歳)は、大手上場企業でコンピューター関連のセールスとして30年以上勤務していました。しかし「自分が死ぬときに後悔したくない」という強い思いから早期退職を決断。かつて、家族旅行で3回訪れた石垣島で、6次産業化に挑戦する「やえやまファーム」の新規事業に携わることになりました。やえやまファーム社長との偶然の出会いと現地視察ツアーが、背中を押してくれたことで、2月から転職活動を始めてわずか4ヶ月後には単身移住を実現しました。30年以上携わった専門職から「島の何でも屋」への転身は簡単ではないと考えていますが、「前向き何事にもチャレンジしていくことが大切だ」と捉えて日々を奮闘しています。離島特有の生活コストの高さなど現実的な課題もありますが、自炊や工夫で乗り越えながら、新天地での挑戦を続けている。50代からの移住に必要なのは「柔軟性」と「覚悟」だと語る石井さんの体験は、ミドル世代の移住検討者に多くの示唆を与えてくれる。
「死ぬ前に後悔したくない」54歳の決断
「死ぬ直前に後悔したくないのはどっちだって考えて、そしたらもう行っちゃえって」
石井さん(54歳)が語るこの言葉には、人生の岐路に立った時の究極の判断基準が込められている。兵庫県で生まれ育ち、誰もが知っている日本を代表する大企業でコンピューター関連のセールスとして30年以上のキャリアを積んできた。誰もが羨むような安定した職業人生。しかし、50代に入ってから「定年まで同じ仕事を続けるのはもうしんどい」という思いが日に日に強くなっていった。
転機は今年2月。本格的に転職活動を始めたものの、50代という年齢の壁は想像以上に高かった。「やっぱり年齢で全部大体はじかれる」という現実。
これまでとは違う職種・業界で働くことを唯一の希望条件としていたが、50代からキャリアチェンジを模索したときには、選択肢はほとんどなく今までの経験を活かせる仕事も見つからない。そんな時、妻から教えてもらったのが移住マッチングサイ「SMOUT」だった。
「最初から石垣島(いしがきじま)が出てきたんですよ」と石井さんは振り返る。実は石垣島は、独身時代から家族旅行まで計3回訪れた思い出の地。最初は1997年頃の独身時代、2回目は子どもが1〜2歳の頃、3回目は小学校入学前。毎年ハワイやグアムなど南国への旅行を楽しんでいた石井さんにとって、石垣島は特別な場所の一つだった。 6月、石垣島での「やえやまファーム」の求人・移住説明会に参加。そこで起きたのが運命的な出会いだった。
本来は担当者が来るはずが、急遽、やえやまファームの社長自らが参加することに。 「いきなり社長のか!と思って」と笑う石井さん。しかし、同世代の社長との会話は予想以上に盛り上がり、2日後には再度面談することに。西表島観光の予定もキャンセルして臨んだその面談が、実質的な最終面接となった。
「こんなに偶然が重なることってあるのか」。SMOUTで最初に目に入った石垣島の求人、思い出の地での新たな挑戦、社長との偶然の出会い、そして「良き人は『食』から」という企業理念への共感。
やえやまファームが掲げる「良き人は『食』から」という理念。食という字を「人」を「良」くすると解釈し、健康な食べ物が健康な心と体を作るという考え方は、IT業界で長年働いてきた石井さんにとって新鮮で魅力的だった。
「もともと一次産業もやったらやりたかったんですよ。畜産も農産も」と石井さんは語る。その背景には「日本の一次産業素晴らしいという想いがあって、一次産業がしっかりしていないと日本は本当に困る。生活していく上でも」という危機感があった。IT業界で長年働いてきたからこそ、生命を育む仕事の重要性を強く感じていたのだ。
すべてが一つの方向を指し示しているように感じた。
しかし、最後の決断は簡単ではなかった。給料は下がり、仕事内容もこれまでとは全く違う未知の世界。それでも石井さんの心を動かしたのは、冒頭の言葉だった。このチャンスを逃したら、きっと死ぬまで後悔する。そう確信した瞬間、覚悟は決まった。


大企業の専門職から島の「何でも屋」へ
「今までの経験は仕事の経験じゃなくて、どちらかといえば人間力を試されている」
石井さんがこう語るのには理由がある。大手企業時代は、ホストコンピューターからサーバー、パソコンまで、IT関連のあらゆる製品を大手企業や自治体に提案・販売するエンタープライズセールスのスペシャリストだった。しかし、石垣島の八重山ファームで求められるのは、全く違う能力だった。
やえやまファームは、単なる農業生産法人ではない。生産から加工、販売、観光まで一貫して手がける「循環型6次産業」を実践し、日本で唯一の有機JAS認証パイナップルを栽培する革新的な企業だ。
パイナップルの搾りかすを1年間発酵させて豚の飼料にし、その豚は「南ぬ豚(ぱいぬぶた)」というブランド豚として出荷される。まさに「農場の外から何も持ち込まない、何も無駄にしない」という理念を体現している。
そこで石井さんが配属されたのは、新規事業の店舗店長というポジション。
「会社が違えば全部違うのは当たり前」と前置きしながらも、その違いは想像を超えていた。新規事業の店舗店長という肩書きはあるものの、実際の仕事は多岐にわたる。パソコン作業から大工仕事まで、その時々で必要なことは何でもこなさなければならない。大企業では考えられない働き方だ。
特に印象的だったのは、社長との最初の面談での会話だ。「こういうことできる? ああいうことは?、といろいろ聞いてくるんです」。その時点で石井さんは察した。この仕事は専門性だけでは務まらない。総合力が問われる仕事だと。
実は石井さんには、この環境に適応できる素地があった。食品衛生管理者やフォークリフトの免許など、本業とは関係ない資格を「なんか持っときゃ、活かせることがあるかな」という軽い気持ちで取得していた。
学生時代から社会人になってもアルバイトを続け、「同じ仕事だけやってたら飽きちゃう」という性格。パソコンも趣味で分解したりする。この「浅く広く」の好奇心が、今になって活きている。
「若い人でも経験があれば良いと思うけど、やっぱりおじさんなりの総合力が試される」と石井さんは分析する。問題解決力、応用力、コミュニケーション能力。履歴書には書けない、でも地方で生きていくには欠かせない能力だ。
石垣島のような観光産業で成り立っている離島では、ハイシーズンとローシーズンで仕事内容が変わることも珍しくない。専門職として「これしかできません」では通用しない。むしろ「いろんなことをやってみたい」という柔軟性が求められる。
「内地(沖縄県内から日本本土を指す表現)だったら『僕はこれはしません』って言っても通じるかもしれないけど、地方に行けば行くほどダメですね」。この現実を、石井さんは「移住する側の覚悟」として受け入れている。
同時期に入社した同僚の話も興味深い。元整体師が農園で働いているという。「この人も覚悟決めてきたんだな」と石井さん。専門性を捨てて新天地に飛び込む勇気は、50代だからこそ必要なのかもしれない。
やえやまファームには、石井さんのような県外出身者を温かく迎え入れる土壌がある。従業員70名の中には、本土からの移住者が多数在籍。金属工場から牛の飼育管理に転身した渡辺さん、大手養豚会社定年後に革新的飼育法に挑戦する田所さん、東京の不動産・商社から有機パイナップル栽培に転職した山中さん。みな、前職とは全く異なる世界で新たな人生を歩んでいる。
「やえやまファーム自体も人をやっぱり大切にしていて、僕も同じ想い」と石井さん。


離島生活のリアルと向き合う日々
「期待値が高すぎるとやっぱりダメですね」
石井さんがこう語るのは、石垣島での生活を始めて実感した現実があるからだ。事前にある程度は覚悟していたものの、実際に住んでみると想定外のことも多い。 まず直面したのは住居問題。
内定から入社までの期間が限られており、内見せずに決めた物件は、想像以上に部屋の状態がよくなかった。結局、清掃では対処できず、引っ越しを余儀なくされた。
生活コストの高さも現実的な課題だ。プロパンガスしかない環境、輸送費が上乗せされた食料品。「パンも2割増しぐらい」「100円で買えるパンがない」。自炊ができない間は外食に頼らざるを得ないが、夜は飲み屋ばかりで定食屋がほとんどない。「ほっともっと ぐらいしかない」という食事情は、独身生活に慣れている石井さんでも苦労している。
電気代も予想以上だ。「内地だと3時間ぐらいエアコンのタイマーをかければ朝まで涼しく寝られるけど、こっちは8〜9時間つけっぱなし」。湿度が高く、いくら冷やしても暑さが戻ってくる。水道水も硬水のため、大好きなコーヒーを淹れる時は軟水を買う必要がある。
しかし石井さんは、これらの課題を一つずつ工夫で乗り越えようとしている。プロパンガスの契約はやめてカセットコンロで調理することを検討。エアコンも「無駄に冷やさない」ことを心がける。「扇風機だけで過ごしている地元のおじいおばあの背景がちょっとだけ分かるようになった」と、現地の知恵に学ぶ姿勢も見せる。
事前の情報収集も功を奏した。6月の移住説明会で聞いた生活コストの話、ネットで調べた光熱費の相場。「ある程度想像ができていた」からこそ、現実とのギャップを「まあそんなもんかな」と受け止められる。「高いなあと言いながら買う人と、こんなもんだと思いながら買える人の違いは大きい」という言葉に、適応力の本質が表れている。
移住を成功させるために必要なのは何か。 石井さんの答えは明確だ。「自炊している人は強い」「自分で何かを作るとか、ちょっとした面倒は自分でやってる人じゃないと地方は厳しい」。 そして何より「いろんな場所に住んでみたい」という好奇心と、「ある程度のリスクは覚悟の上」という柔軟性。 「体が資本」。石井さんが最後に語ったこの言葉は、移住の本質を突いている。健康な体と前向きな心があれば、どんな環境でも生きていける。
54歳で人生の大転換を決断した石井さん。大企業という看板を捨て、石垣島で循環型農業に挑戦する日々。給料も、仕事内容も、生活環境も激変した。それでも「死ぬときに後悔しない選択をした」という確信がある。新たな人生の第二章は、まだ始まったばかりだ。

このプロジェクトの地域

石垣市
人口 4.76万人

チャレンジ石垣島が紹介する石垣市ってこんなところ!
♦︎石垣島ってどんなところ? 沖縄県八重山諸島の主島である石垣島は、東京から約2,000km、飛行機で約3時間半の亜熱帯の楽園です。島全体が美しいサンゴ礁に囲まれ、透明度抜群の海には色鮮やかな熱帯魚やマンタが泳ぐ世界有数のダイビングスポット。 夜空は「星空保護区」に認定され、光害の少ない島だからこそ見られる満天の星空は、都会では味わえない感動をもたらします。グルメも充実!「石垣牛」は濃厚な味わいで人気を集め、新鮮な魚介類や南国フルーツも豊富です。 そして何より、この島の宝物は「人」。温かく、のんびりとした島の人々の人情は、訪れる人の心を包み込みます。「イチャリバチョーデー(一度会ったら兄弟)」という言葉のように、初めて会った人とも家族のように接する文化が今も息づいています。
このプロジェクトの作成者
コンセプトは、「島から、世界を面白く」 〜石垣島のコラボ&発信拠点〜
チャレンジ石垣島は、世界で働く人たちを受け入れるワーケーション施設であり、イベントスペースを設けた石垣島最大規模のテレワーク施設です。 島内外の地域や世代を超えた人々がつながって、島の魅力や新しい価値観に触れながら様々なプロジェクトにチャレンジできる、まさに沖縄のチャンプルー文化を体現する石垣島の発信拠点。 人と、島と、地域につながる日本最南端のイベント&コワーキングスペースです。


















