【正社員募集】挑戦し続けることで活路を見出す。好奇心が生み出す技術力
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公開日:2021/11/11
終了日:2022/03/09

【正社員募集】挑戦し続けることで活路を見出す。好奇心が生み出す技術力

◎企業のご紹介
今回は株式会社 後藤鉄工所さんになります!

◎企業詳細
株式会社 後藤鉄工所では、NC旋盤を使った農業機械部品や自動車部品、ロボット関連の部品加工など、かなり手広く金属加工を請け負っています。
今では多くの工場で取り入れられているNC旋盤ですが、中でもいち早くこの機械に注目し自社に導入したのが後藤鉄工所です。

機械が営業としての役目を果たしてくれた過去

創業は昭和26年、戦後間もない頃のこと。今日を生き延びることすら困難な生活の中で、初代は突然「明日、北海道に行って来る」とだけ家族に告げ、単身遠方に飛び立ちます。

「聞いた話だと、小豆を北海道に買い付けに行ったらしいんですよ。それで、帰ろうとしたら海が大しけで青函連絡船が欠航。何日経っても船は動かずにせっかく仕入れた小豆がダメになってしまったそうです」

一世一代の覚悟で北海道に渡ったにも関わらず、金銭を得ることなく帰らざるを得なかった初代は、くじけることなく、菜種から油を絞り出すためのプレス機を購入。それまで機械を扱った経験はありませんでしたが、元々機械が好きだったことから購入を決意したそう。
「当時は明日の米も食べられるかわからない状況。そんな中、『機械屋をやる!』と触ったこともない高価な機械を購入し、金属加工を始めたもんですから、これでご飯が食えるもんかと幼心に疑問に思っていましたがね」

その後知り合いの農牛屋さんに行き、機械操作を学習。庭の柿の木を使って自動で脱穀できる装置を自力で考案するほど、初代は手先が器用でした。試行錯誤を繰り返しながらも、しっかりと機械についての知見を深めていったといいます。

しかし他の会社でも菜種油を供給するようになり、自然と売り上げは下がっていくと、搾油業から一転、農機具の部品製造をスタート。しばらくすると地元の大手農機具メーカーからのお声がけもあり、収益は安定するようになっていきました。

2代目の行雄さんが会社に入ったのは、20歳のころ。当時は昼夜問わず働いても納品が間に合わないほどの受注数があったそう。そんな最中、入社して6年目の26歳に行雄さんは社長に就任しました。
「機械が載っている雑誌や見本市で実物を見て、僕も親父と同じように、どの機械が良いかを考えていました。良い機械が出たなんて話しているのは楽しかったですね。昔はローンなんて言葉はなくて、月賦(げっぷ)って言っていましたよ。メーカーが月賦で機械を売ってくれた時代。ただその分、信頼してくれているかどうかは重要な判断基準だったんだね」

行雄さんの新しいもの好きは父親譲り。初代に違わず、日本で初めて出た最新機を一目散に買いに走ったこともありました。

「作業効率が上がるのであれば、買ってしまおうかなと。結局は子どもにとってのおもちゃみたいなもんだけどね」と行雄さんは笑います。
後藤鉄工所が初めてNC旋盤を購入したのもそのころ。まだ市場に出まわり始めたばかりの機械でした。

今は1時間足らずで出来てしまう部品も、当時は3〜4日もかかっていました。今のように機械も完全に電子化されてなく、アナログなパンチシートと呼ばれる紙に穴を空け機械をコントロールしていた時代。もし間違えたら一からやり直しといった状況でした。一つの部品を作るのは、手で作るほうが早かったことでしょう。それでも数年後、数十年後の未来を見据えて、新しい機械を導入していったのです。

しかし当初NC旋盤は零細企業までは普及しませんでした。それは、機械を変えることは工場への負担が大きすぎるからです。新しい機械を入れるとなると、どうしても稼ぎ頭の職人の時間が拘束されてしまうこともあり、結果として機械を使いこなすまでに時間がかかってしまいます。

後藤鉄工所がNC旋盤を購入してから5〜6年後、電子プログラムを使った旋盤に切り替わりました。するとまわりの零細企業もまた導入を検討するようになり、急激に売れ始めました。その勢いは早く、一気に全国的に普及します。
このときに後藤鉄工所もパンチシートから、自動プログラムを備えたNC旋盤を購入しました。

当時は機械がお客さんを連れてきてくれました。お客さんが機械メーカーに問い合わせ、「○○の機械を持っている会社はないか」と聞くと、メーカーの担当者は「後藤鉄工所」の名を出してくれたといいます。

ものづくりは、どうしても設備先行型になる業界です。現代でこそ機械を持っている工場の数や種類は横並びになりましたが、昔は「この機械があるから、この会社に発注する」といったことも多くありました。機械が営業の役目を果たしていたのです。
その後の後藤鉄工所も、他社に先行して新しい機械を次々と導入。
農業機械からトラック、ロボットと様々な業界のお客さんから声がかかりました。

今まで取引の経験がない業界で、当然その部品を作ったことすらなくても、その業界の常識やルールを皆で勉強し、一つひとつ覚えて対処していったのです。

燕三条内の企業で協力して、全国に売り出す

工場は民家との関係もあり、都市部に構えることは難しい状況です。
こうした全国の動きがある中で、集合的にものづくり企業が集まる燕三条はこれからどのような立ち位置になっていくのでしょうか。
敬さんに聞いてみると、こう返ってきました。
「燕三条にとってはチャンスですよね。関東の企業の中にはまだ燕三条の名前を知らない人もいます。この前こっちでお会いした営業さんになぜ燕三条に来たのかと聞くと、『今まで日本海側を攻めていなかったので、今回はこちらに来ました』と答えられました。燕三条だから来たというわけではなかったんです」
「しかしだからこそ、展示会に燕三条のくくりで出展したり、むしろ燕三条を冠につけた展示会を東京で開催したり、もっと関東等から仕事をバンバン取ってくる姿勢を持っても良いのかなと思います」
後藤鉄工所もまた、燕三条に工場を構える一社。その中で連携していきながら、次の施策を考えていきたいと言います。

戦後間もない頃に会社を立ち上げた初代、26歳で社長を継いだ2代目、そしてAI化も進む中、新たな取り組みが必要とされる3代目。三者三様で、世の中の流れに合わせ、顧客のニーズに合わせて事業を展開してきました。そして新しい技術も進み、今までとは異なる状態にある現在。初代、2代目の意思を受け継ぎ、新たな時代の幕開けへと歩んでいきます。

◎後藤鉄工所は一緒に会社を盛り上げてくれる仲間を募集しています!
https://www.goto-tec.co.jp/recruit/index2.html

◎続きはこちらから読みください。
https://sanjo-school.net/spblog/?p=2378
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◎本記事は、三条ものづくり学校の取材した記事になります。

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三条市
三条市 地域経営課が紹介する三条市ってこんなところ!

ちょうどいい田舎、三条市。
新潟県三条市は、新潟県のちょうど真ん中に位置するものづくりの街。
人口は約10万人の都市で、中心市街地にいけばスーパーやコンビニが揃っており
少し車を走らせると山や自然が豊かな下田地域にもいける都会と田舎の側面を持つ地域。
ものづくりの技術は世界から認められており、グッドデザイン賞を受賞していたり、
アウトドア用品の有名ブランドのほとんどは実は三条市が本社だったりします。
三条市をもっと知りたい方は、こちらの記事もご覧ください!
https://sanjo-city.note.jp/

三条市 地域経営課
三条市役所 地域経営課
▼三条市HP https://sanjo-city.note.jp/ 人口約10万人の地方都市・三条市は、鍛冶技術の伝統を受け継ぎながらも、時代に合わせて革新を続けてきた打刃物の技が光る「ものづくりのまち」です。新幹線が止まる燕三条駅から車で約30分走ると、自然豊かな地域・下田郷が広がります。地方都市暮らしも、田舎暮らしも叶えられる一石二鳥なまちです。
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