ちいさなひとだまりの町、東彼杵町千綿。そんな町の仲間を募集してます。

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高校卒業後、東京、広島、福岡に出た後、2008年酒屋の家業を継ぐため帰省し、町も自身の商いも衰退したことをきっかけにイベントを実施してきましたが、イベントの一過性に疑問を持ち、2013年、拠点となる場づくりをしたいと構想しはじめ、2013年から2015年にかけ、解体寸前だった農協の旧千綿第三米倉庫の活用交渉および、活用説明会を繰り返しリノベーションし、2015年Sorrisoriso千綿第三瀬戸米倉庫として5年で5店舗を周辺に呼び込み派生させたいとスタートし、現在十数店舗が酒屋もなくなった町に出店していただいており東彼杵町の「千綿」というエリアの価値づくりに励んでおります。サポートを任意団体で続けていた内容を2017年に一般社団法人東彼杵ひとこともの公社を立ち上げ、同時にくじらの髭というブランド設立しました。

現在、私たちは移住をしてもらうということだけでなく、この町に住んでいなくてもこの町と関わりたいとか、連携したいとか、仲間に入りたいとか、そんな仲間づくりを積み上げ、「たしてひがしそのぎ」というテーマでライングループに入ってもらったりしております。このライングループは現在、145名の町内外、県内外の人に入っていただいております。是非、生まれた故郷の次の、またその次でもいいので、この町に愛情を持ってもらえる人を増やせたらと取り組んでおります。

長崎県東彼杵町を第2の故郷として「たしてひがしそのぎ」

地域づくりは1人では何もできません。そう痛感したエピソードがあります。2017年7月に
発生した九州北部豪雨で、東彼杵町で味噌の製造・販売をする大渡商店の杷木支店が倒壊しました。もともと苦しかった経営に追い打ちをかける緊急事態に、大渡商店の3代目から相談を受け、行き場を失った4トンの味噌を販売する手助けをたくさんの方にしてくださいました。2日間で2トン(1,400 件)分の発注があり、なんとか経営の危機を乗り越えることができたのです。

同じ年の11月、大渡商店の2代目である父が病で逝去し、彼は28歳にして後継者となったわ けですが、辛い思いを経験をしながらもお店を、そして自分自身を立て直すことができたのは、 メンバーの温かいサポートがあったからに他なりません。地域の力がこんなにも大きいというこ とを改めて感じ、少しずつ築き上げてきたチームワークがこの奇跡を起こしたのだと思います。

これからの時代、人口減少は否めませんが、1人1人が支え合うことで大きな力になる、強い地域になるということを、地方で暮らす価値として提唱し続けていきたいと思っております。

私たちがプロジェクトをはじめたきっかけとなったのが同じ長崎県の隣町、「波佐見町」この町には西の原というエリアを15年ほど前に移住してこられた方が仕掛け今では全国各地から人が訪れる町になっています。

この仕掛けた方から、多くのことを学んできました。その中で「結の文化」ということを教えられてきました。「結」という言葉を辞書でひくと、結とは労働力を対等に交換しあって田植え、稲刈りなど農の営みや住居など生活の営みを維持していくために共同作業をおこなうこと、もしくはそのための相互扶助組織や互助活動全体を指す。と書かれています。この考え方をもとに、これからの町は、できる人が、できる事を、できる時にするというテーマのもと、冒頭にある災害やそれぞれの事業に危機、ちいさな相談事、何かあった時に相互扶助の関係性を築きあげれる町こそがこれから、楽しんで暮らせる町になるのではないかと考え、この「たしてひがしそのぎ」という関係の輪を広げています。

災害発生時に手伝ってくださった皆さんの大渡商店前での集合写真です。

災害発生時に手伝ってくださった皆さんの大渡商店前での集合写真です。

1400件の受注に対応するため、梱包から発送、伝票処理などいろんな方が手伝ってくれた時の大渡商店の店内の様子です。

1400件の受注に対応するため、梱包から発送、伝票処理などいろんな方が手伝ってくれた時の大渡商店の店内の様子です。

この町の価値や魅力をご一緒に伝えてくださる方も探してます。

現在、当法人ではくじらの髭というブランドを立ち上げ、そのホームページを運営しております。https://kujiranohige.com

こちらのページでは、「イベント・みせ・ひと・こと・もの」の4つのカテゴリーで取材をし、そのそれぞれのカテゴリーの持つ魅力や価値を伝えるべく、編集チームを作ろうと計画しております。そのチームにご一緒していただくことで、編集力を高めたい方、もしくはこれからライターやカメラマン、編集を通じて地域に関わりたいと思っている方、またこのようなページを「マネタイズしていき自主運営ができる仕組みにアドバイスできるよ」などの凄腕の方もどんな立ち位置でも構いませんので、そのように関わってくださる方と出会いたいと考えております。

もちろんまだ、今は編集力がなくとも、編集を続けることで人と出会い、話を聞いたり、編集を続けることでいろんな見解を見出せる可能性もあるのでまずはこの町に来ていただきどんなことができますかね〜と井戸端会議をしに来ていただくだけでも嬉しいです。

当法人の運営しているサイト「くじらの髭」です。

当法人の運営しているサイト「くじらの髭」です。

特に、「ひと」のページをさらに書き込みたいと考えています。

特に、「ひと」のページをさらに書き込みたいと考えています。

東彼杵町
森 一峻が紹介する東彼杵町ってこんなところ!

長崎県の中央に位置し、佐賀県の県境でもある東彼杵町。お茶とくじらの町として、主幹産業は「そのぎ茶」という全国でも5%ほどの生産となる玉緑茶を生産している町です。

お茶の町としては珍しい大村湾という湾に面しているため、茶畑と海が隣接することで全国でも類を見ない景色を持つ町です。また、長崎街道、平戸街道の分岐である「思案橋」もこの東彼杵町にあります。

むかしむかしのその当時もそんな町は西海捕鯨の中継地として栄え、彼杵港に陸揚げされた鯨は長崎・平戸街道を通じて九州各地へと送られていました。参勤交代の大名長崎奉行の行列、文人、医者・留学生、商人、芸人など、多彩な顔ぶれが往来する街道には彼らが旅の疲れを癒す、場所として彼杵と千綿に宿場が置かれ、人ばかりでなく各地の農産物や海産物も集まったため商工業が発達し最盛期には三百軒もの商家が軒を連ね彼杵宿には本陣も置かれ、港としての機能も併せその賑わいぶりも格別だったようです。

行商人や旅人をお茶で癒していたと言われ、異文化・人が行き交う町だったと「思案橋」をその基点として長崎から平戸へあるいは平戸から九州各地へ人や情報を運んでいた。これら長崎街道、平戸街道、そして海路はちょうど東彼杵町の真ん中で十字状に交差する形となる場所に位置しています。

元禄の間に築かれた彼杵港、大楠の木は、シーボルトが江戸参府の際、川原慶賀に描かせた風景とほぼ変わらない姿で今もあります。江戸時代のこの町はまさに人と産物、そして情報と文化の十字路でした。

東彼杵町は彼杵町と千綿村がたしてできた町。
このプロジェクトは、現代の交差点をソリッソリッソを中心に長崎県や東彼杵町に再び呼び起こすプロジェクトでありどこか、なつかしくてあたらしい、たして・足して・たし手のあらゆる繋がりを目指してます。

森 一峻
(一社)東彼杵ひとこともの公社
1984年 長崎県東彼杵町千綿宿の酒屋に生まれる 2003年 某東京本社へ入社 2008年 地元へUターンし、個人事業主として起業 2015年 (株)森商店設立・代表取締役就任 また、「Sorriso riso千綿第三瀬戸米倉庫」のプロジェクトリーダーとしてプロジェクトを立ち上げる 2017年 一般社団法人 東彼杵ひとこともの公社設立・代表理事就任 主な活動として、行政機関や企業、団体等と協力体制でイベントを実施するほか、そのぎ茶の魅力発信や商品開発、さ らには地域住民と連携した地域・文化づくりにも積極的に取り組んでいます。特に、地域交流拠点「Sorriso riso千綿第 三瀬戸米倉庫」を中心に、周辺の古民家をリノベーションした店舗や拠点づくりをサポート。千綿エリアに魅力を感じた移住者が次々と起業し、これまでに約10店のあたらしくてなつかしい店舗や拠点を創出。東彼杵町は7,800人ほどの小さな町ですが、 2015年以降はIターンやUターンの移住者が増えており、現在は空き家バンクへの入居希望者が待機するほど。長崎県内でも注目の町となっています。
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