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【姫路市】島の水事情<後編>念願の24時間給水と震災【Jターン協力隊が島の魅力をご紹介!】
~ここは家島 瀬戸の島 ここが始まりの島~
姫路市家島地域おこし協力隊としてR5年4月に着任した隊員が見つけた島の魅力を定期的に発信します。第8回となる今回は前回に引き続き日本一長い海底送水管が通るこの島の水事情と阪神淡路大震災の時に島民が起こした素晴らしい行動を紹介したいと思います。元々、この地域に所縁を持つ自分だからこそ、島の魅力を発信してさまざまな人に来てもらうことで島々に恩返しができればと思います。
なお、島自体の紹介は過去の記事(SMOUT記事:https://smout.jp/plans/8493)やページ下部をご覧ください♪
●今回のお話
・家島の水事情
― 昭和48年ごろの水事情(3時間給水から半日給水へ)
― 念願の24時間安定給水
― 阪神・淡路大震災 水に苦しんだからこそ起こせた行動
■この記事と書いた人について
能登半島地震に被災された皆様にお見舞い申し上げます。
被災地の方々が1日でも早く安心と安全を取り戻せることを心よりお祈りいたします。
また、被災地支援に協力されているすべての方々に敬意を表します。
姫路市家島地域おこし協力隊の小林昂祐(こばやしこうすけ)です(島の人たちは同じ苗字が多いので名前で呼ぶのがスタンダードだったりします。なので、私もそれに倣って昂祐(こうすけ)で活動しています)。私は母親の実家が同じ家島諸島の坊勢島で所縁があり、一般的な地域おこし協力隊とは異なり、最初から顔見知りも多いです。しかしながら、あるいは、恥ずかしながら、私自身は一度もこの島で住んだことはありませんでした。そんな私ですが、この島に「ただいま」と言えるくらいに原点の場所でもあります。
この記事はそんな私が感じたり、体験したり、再認識した家島の魅力を紹介する場所です!
昭和48年ごろの水事情(3時間給水から半日給水へ)
年度末の報告に追われている昂祐です。さて、前回に引き続き島の水事情についてお話ししたいと思います。水道丸の進水によって、ようやく浄水を手に入れることができた家島地域ですが、まだまだ「時間給水」という難問は解決できていません。今回はその後どのようにしてこの地域が水不足を克服したかと水不足に悩まされた地域だからこそ取れた誇りある行動について紹介したいと思います。
昭和41年に水運搬船「水道丸」によって念願の浄水を手に入れた家島諸島でしたが、昭和47年に発生した赤潮により、当時の主要産業であったハマチ養殖が大きな被害(家島町内で、約13億2500万円)を受け、島の事業者は業種転換を余儀なくされました。白羽の矢が立ったのは当時急速に発展していたノリ養殖でした。島民にとって不幸だったのは、ノリ養殖は加工の段階で大量の真水が必要な産業だったのです。
昭和48年、高まる水の需要に対応するため家島諸島は、ついに自分たちで海水から真水を作る装置の建設に着手しました。海水淡水化装置と呼ばれるこの装置は、日本で初めて多段フラッシュ法式(加圧して温めた海水から圧力変化を使って一気に冷やすことで発生させた不純物の少ない蒸気を、さらに温度差を使って集めて蒸留水を得る方法)が採用された画期的な装置で、1日に1,000㎥の真水を作ることが出来ました。しかしながら、この装置は海水を温めるために石油を使っていたので、察しのいい方はお気づきでしょうが、オイルショックの影響をまともに受けてしまいました。そのため、第2次オイルショック時(昭和55年)には水道丸の運航を1日3回に増やし、島内の自然水もフル活用しましたが、それでも水が足りず、島民は12時間の断水を余儀なくされました。
海水淡水化装置
現在は配管のみが残っている
念願の24時間安定給水
昭和56年、高まり続ける水需要と燃料費を重く見た家島町は「新しい水運搬船の建造」か「海底送水管の敷設」かの選択を迫られていました。総合的な比較検討の結果、家島町は安全性に優れ、長期的な視点では経済性においても勝る、海底送水管の敷設を選択しました。そして昭和57年、総事業費27億円にも及ぶ家島町始まって以来のこの大事業は、県と赤穂市への粘り強い交渉を重ね、ついに工事までこぎつけることが出来ました。海底送水管の工事は、まず昭和58年5月に赤穂~家島間13.8kmを、同年7月には、家島~坊勢島間を1.2kmおよび坊勢島~西島間0.6kmをそれぞれ敷設完了し、陸上工事も順調に進み昭和59年5月に工事完成の運びとなりました。また、唯一繋がっていなかった男鹿島についても平成11年~12年にかけて家島~男鹿島間2.8kmの海底送水管を敷設し、これで家島有人4島が海底送水管で結ばれ完全安定給水を行うことが出来るようになりました。時間給水も無く「蛇口をひねれば24時間いつでも水が出る」という、現代では当たり前で最低限の生活を島民たちはようやく手にすることが出来たのです。
敷設船(油島丸)
工事の様子
阪神・淡路大震災 水に苦しんだからこそ起こせた行動
さて、2回にわたって家島諸島の水事情について追ってきましたが、最後にこの地域だからこそ起こした勇気ある行動について紹介したいと思います。
平成7年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では家島諸島は震度3を記録し建物の崩壊や港の破損が起こったものの、幸いなことに海底送水管は無事でした。また、テレビやラジオで被害の状況を聞いていた島民はガット船や連絡船を使って、水だけでなく食料や便器などの支援物資、現地に家族が居て連絡の取れない人などを発生後2時間の内に輸送対応したとのことです。余震という概念が広まってなかったこともありますが、この行動は長年、水不足に悩まされ続けたこの地域だからこそのフットワークの軽さであり、互助の精神で培われてきた人情の厚さだと思います。さらに家島の石材組合や建設業者は復興活動にも尽力し、港の再生や建築資材の補充、食料から移動手段(バイクや工事車両)の提供など3年はかかると言われていた復興期間を1年に縮めるほど貢献していたことに感慨深くなりました。
私は幼少期に島へ遊びに行く度に祖母や祖父の世代に「水を大事に使え!」「もったいないことするな!」と叱られた記憶があります。この歴史を調べる中でその言葉の意味を改めて感じることが出来ました。そして、その当時に難しい決断を下して地域を存続させてくれた先輩方を誇りに思います。それではまた次回!
◎参考文献
兵庫県 家島町. (不明). 海底送水管敷設工事. 兵庫県飾磨郡家島町.
外山茂樹. (1975). 海水淡水化技術の現状. 水利科学研究所. 他
震災当時の様子
復興を支えた石材運搬船
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兵庫県姫路市の沖合い18kmの瀬戸内海に浮かぶ大小40余りの島々から成る家島諸島。
家島、坊勢島、男鹿島、西島の4島が有人島です。
本土から30分の家島諸島へぜひ足を延ばしてみてください。
姫路市政策局ひめじ創生戦略室です。
主に兵庫県姫路市の離島、“家島諸島”で活躍する地域おこし協力隊に関する情報等を掲載します。
家島諸島とは・・・
兵庫県姫路市の沖合い18kmの瀬戸内海に浮かぶ大小40余りの島々から成る家島諸島。家島、坊勢島、男鹿島、西島の4島が有人島です。
家島諸島の魅力の一つは、島の近海で獲れる新鮮な魚介類です。複雑な海岸線に囲まれた島周辺は、魚の格好の棲み家で、タイやタコ、アジなど年中多くの魚介が揚がります。特に、ぼうぜ鯖、ぼうぜがに(ガザミ)、華(はな)姫(ひめ)鰆(さわら)、白鷺(しらさぎ)鱧(はも)はブランド魚として売出し中で、島内の旅館や飲食店には新鮮な魚料理を求めて多くの来訪者があります。
また、家島本島の港の両側に山が迫る裾野に石材運搬船、ドックや建物が並び、島の人たちが生き生きと行き交う瀬戸内の港町や、隣接する坊勢島の湾奥の漁港を取り囲む漁村の風景は他の島では見かけることが少ない貴重な風景です。
まるで昭和にタイムスリップしたような原風景を大阪からは2時間、姫路市本土からは30分の至近距離で味わえます。
ぜひ一度、足を運んでみてください!
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