〜Uターン起業して、ふるさとを料理する〜はぎっ子に聞いた幸せのレシピ🎵

「ふるさと」

その響きから、あなたが感じるものは何ですか?

ぬくもり、やさしさ、ゆったり流れる時間、父さん、母さん、じっちゃん、ばっちゃん・・・
居心地の良さそうなイメージが次々と浮かびます。

「ふるさと」には確かにそういう面もありますが、もしその中で満ち足りている人ばかりだったら、誰も出て行ったりはしないはず。

学校、仕事、刺激、夢・・・。
多くの若者は、様々な想いを抱いて都会へと旅立ちます。
そしてそのまま新しい土地に根付く人もいれば、やっぱり懐かしいふるさとに帰って来る人も。

「ふるさと」駅を出る旅は、片道きっぷなのか、往復きっぷなのかーー。

中には初めから往復と決めて出る人もいます。これからご紹介する深野和範さんも、その一人です。

今回は、Uターン起業して萩市椿東(ちんとう)でパスタ&惣菜のテイクアウト専門店「Puente(プエンテ)」を営む深野さんに、

◎ふるさとを離れて学んだこと
◎帰ってからやろうと思ったことや心配
◎実際にどんな行動をしたか
◎今、ふるさとでどんな幸せを感じているか

などをお聞きしてみました。
これからふるさとを出る方、また、帰って何かしたいけれどまだ迷っている、という方はぜひお読みください。

生き方のヒントが詰まった深野さんの幸せのレシピ、教えてもらっちゃいましょう!
萩市から、ローカルエディターの三枝がお伝えします。

【深野和範(ふかの かずのり)さん】
1983年、山口県萩市生まれ。高校まで萩市で育ち、18歳で山口市の調理師専門学校へ。
卒業後は鎌倉→宇部と料理を中心に12年間経験を積んで、萩市へ帰郷。
2015年9月から萩市地域おこし協力隊として着任し、料理の腕を活かして地元食材を使った加工品開発、イベントへの出店、お祭りに参加するなど地域との交流を深めながら、3年間活動した。
卒隊後は実家の1階を改装してパスタ&惣菜のテイクアウト専門店『Puente』をオープン。
ふだんはお店、時にはキッチンカーでイベント出店しながら、萩の食材を活かしたお洒落でおいしい料理を提供している。
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三枝)深野さんは萩市のご出身なんですよね。

深野さん)はい、生まれた時から萩で、この建物が実家です。

三枝)子どもの頃から住んでいる場所ということで、何か変わったなぁと思うところはありますか?

深野さん)大きく変わったのは道路ですね。松陰神社前の前を通って道の駅「萩しーまーと」へ繋がる大きい道路はなかったですね。あと、どこの地域も同じだと思うんですけど、昔やってた子どもの絡む行事が少なくなってきていますね。
昔はお祭りも子ども神輿で地域をまわったりしましたけど、今は大人たちだけでお神輿を担がないで神社に奉納だけして終わらせるとか。

三枝)なるほど。新しいものができて良いことがある一方で、少子高齢化によって地元に古くからあった風景が失われつつあるところもあるんですね。ところで、深野さんが料理の道へ進もうと思った理由は何ですか?

深野さん)子どもの頃から何かを作るのが好きだったので、「ものを作る」というカテゴリーの中で、一番身近にあった料理に興味が湧いたという感じですね。

三枝)萩市を出たきっかけは、料理を学ぶためですか?

深野さん)はい。当時、山口市に出来たばかりの調理師の専門学校があって、僕はそこの1期生なんですよ。

三枝)第1期、好きですねぇ~!!(☜本当に好きというわけではないカモですが、深野さんは萩市地域おこし協力隊の1期生でもあるのです😆)学校では楽しく学べましたか?

深野さん)ハハハ、第1期ばっかりなんですけど(笑)。入った時に上級生がいないので、先生も合わせて和気藹々と、本当に自由に学校生活を送らせてもらいました。

三枝)学校では料理全般を学ぶんですか? イタリアンに気持ちが向いたのはその時?

深野さん)基礎の基礎を学ぶという感じですね。イタリアンに行ってみようかなと思ったのは在学中だったと思います。単純に流行っていたというのもあるけれど、子どもの時からうどんとかソーメンとか、とにかく「麺」が好きで、とくに「パスタ」が好きだったので。

三枝)「麺」が好き、私も好きなのでわかります~。そういうことなら卒業後はイタリアンのお店へ?

深野さん)それがですね・・・。卒業後は鎌倉方面で仕事を探したいなと思って、何軒かピックアップして2年生の夏に食べに行ったんですね。それで、冬にもう一度気に入ったお店に話しに行って、「本当にやりたいんだったらおいで」っていうぐらいの口約束で…ちゃんとした就職活動的な感じではなかったんですが、卒業して鎌倉に行ったんです。
そしたら「本当に来たんだ・・でも、働く人決まっちゃったから雇えないよ」って話になって。もう、鎌倉で住むところも決めて、荷物もぜんぶ持っていった状態だったんで、どうしよう〜!ってなって(笑)。

三枝)住むところまでぜんぶ決めてから行ったんですか!? その間、何の連絡も取らずに?

深野さん)若気の至りです…。でも、とりあえず働かにゃお金がないし、ということで近くの居酒屋で1年ちょっと働いてたんですよ。それで、この状態が続くのもな…っていうのもあって、実家に戻って今度は学校を通じて就職先を探してもらって、宇部市(山口県)で就職しました。

三枝)今度は山口県から出ようとは思わなかった?

深野さん)当時は出ようとは思わなかったですね、懲りたんでしょうね(笑)

県内の都市部で料理修業。起業したら役に立つかもしれないとWEBも勉強した

三枝)宇部市ではどんなお仕事をしていたのですか?

深野さん)最初、病院給食を4年。その後、やっぱり飲食店で働きたかったので、パスタやピザをメインにしたカフェレストランに就職しました。そこに4~5年いて、辞めた後に半年くらい職業訓練校に通いました。

三枝)どんな職業訓練をされたんですか?

深野さん)WEB制作です。

三枝) エェッ、WEB制作ぅ!?

深野さん)そうなんですよ(笑)。カフェレストランにいた時、料理以外にもメニューの制作やブログ、WEBやチラシ媒体での宣伝とか集客系の仕事もやっていて、一人にこんなこと全部させるのか(笑)、っていう感じだったんですね。
だけど、後々自分が起業した時、最終的に業者にお願いするにしても、ある程度知識として持っておいたほうがいいかなと思って学びに行っていた時、知り合いの飲食店オーナーから「それだったら、うちで働いてみん?」って声をかけて頂いて。

三枝)えっ・・まさか、“WEB”の方で!?

深野さん)もちろん、“料理”の方で!(笑)。でも、そのころ僕は、そろそろ萩に戻って起業してやっていきたいという思いがあったので、最初はお断りしてたんですが…いろいろお話をする中でお受けして、店長として2年間、宇部市で2つのお店を経験しました。

三枝)そちらでは、どんなことを学ばれたんですか?

深野さん)料理のことはもちろん、オーナーが接客に力を入れている方だったので、お客様の顔を覚えたり、気づかうことの大切さなど接客の心得を教えてもらえたのも大きかったですね。また、お店にはたくさんの学生バイトさんがいたんですが、「いろんなこと気をつかってあげんといかんよ」と、店長としての役割も勉強させてもらいました。

三枝)なんだか深野さん、そのまま落ち着いちゃってもおかしくない感じもするんですが、そのお店を辞められた理由は?

深野さん)やはり、働かせてもらった2年間も「萩に戻って起業したい」という気持ちが消えなかったというのはありますね。

三枝)そこまで強く、萩に戻りたいと思った理由とは?

深野さん)やっぱり生まれた土地、“ふるさと”だから、っていうのが一番大きい部分かなぁと思います。

三枝)帰郷されてからはまず、萩市地域おこし協力隊として活動されてますね。どうして応募されたんですか?

深野さん)萩では食関係で起業しようとは思っていたんですけど、10年以上萩から出ていたのでツテがないっていうのもあって。まずはどこかで働きながら準備していったほうがいいかな、とネットで求人を探している時に見つけたんです。
何より面白そうだったし、協力隊の活動をしながら横のつながりを作ったり、起業のための情報収集をしたりしていこうと考えて応募しました。

三枝)勤務地は須佐(すさ)地域※だったとのことなんですが、須佐のことは以前から知っていたんですか?(※市街地から国道を車で50分ほど行ったところ)

深野さん)いえ、萩の他の地域についてもそうなんですけど、当時はこの中心地以外の地域をまったく知らなかったんです。だから協力隊として赴任して、実際に住んで地域の中に入ることができたので、逆に新鮮でした。

三枝)当初は、生まれ育った土地でも知らない特産品が多いことに驚かれたそうですね。

深野さん)そうですね。須佐に赤米があるっていうことも、弥富(やどみ)が県内有数のそばの産地だということも知りませんでしたから。

三枝)協力隊ではどんな活動をされたんですか?

深野さん)特産の赤米を使って、地域の親子を対象にした料理教室をしたりしました。すると弥富地区女性部の方たちが、そば粉やゆずを使った加工品を作りたいというお話になって、作り方を教えたり。

三枝)1つ活動すると、また次の活動に繋がっていくところがあるんですね。協力隊は最大3年間の任期が終わるまでに、卒隊後の生活の準備をしておかなくてはならないと聞いていますが、深野さんはどうでしたか?

深野さん)協力隊の業務と起業に向けての準備のバランスを取るのが大変でしたね。
なので、1年目はどういう方向性で起業しようか、コンセプトを考えていました。2年目ぐらいに萩市内の高校の女子寮の管理人の話があって、任期中から管理人をして、卒隊後は委託を受けて管理業務を行いました。

三枝)そちらでは病院食を作っていた経験が役に立ちましたか?

深野さん)病院給食は大量調理なので、そういう部分では活かせましたね。あと、寮の業務委託を受けたことで、起業に向けて考える時間が増えるな、っていうのもありました。正直、協力隊の3年間だけで考えたら難しかったんだろうな、と思います。

実家を改装して作った「Puente」は、住宅街に佇むお洒落なお店。通っていた小学校の目の前で、オーナー&料理人としてスタートした深野さん。

実家を改装して作った「Puente」は、住宅街に佇むお洒落なお店。通っていた小学校の目の前で、オーナー&料理人としてスタートした深野さん。

地域おこし協力隊時代、仲間の“萩ジャム班”と田万川地域の方々と共に「萩ジャム」を開発しました。

地域おこし協力隊時代、仲間の“萩ジャム班”と田万川地域の方々と共に「萩ジャム」を開発しました。

起業補助金を利用してキッチンカーを製作。青いカウンターの裏はキッチン&農産加工場!

三枝)深野さんは、女子寮のお仕事をされながら、キッチンカーも始められたのだとか。

深野さん)はい。協力隊の任期が終わる時に、起業補助金100万円を使わせて頂いて、キッチンカーを作りました。

三枝)やりたいと思った理由はなんですか?

深野さん)当時、キッチンカーをする人があまりいなくて。でも地域での必要性っていうのは感じていて、将来的に必要になってくる業態になるだろうと考えて始めました。ただ、キッチンカーだけでやっていくのではなく、本業となる事業、「食」に関しての起業も視野に入れて、そのマーケティング調査的な感じで始めた部分が強いですね。

三枝)しかしキッチンカーとなると、100万円ではできることが限られてきますね。

深野さん)はい。100万円の中に車両費も入れてるし、本格的な造りにはできなくて。内装は自前で作ったりしながら、改装代も混みでちょっとオーバーしたかな。

三枝)キッチンカーではサラダパスタをメインに販売されていますが、それはなぜですか?

深野さん)いろいろアイデアを考えて試していく中で悩んだ時期もあったんですが、ある時、そういえば自分はもともと飲食店でパスタをやっていて、僕自身パスタ系が好きだし、やってみるか!とチョップドサラダとパスタを組み合わせて販売してみたら、好評を頂けた部分があって。
結局自分が好きだなって思うことをやらんにゃ続かんな、って思ったからというのはありますね(笑)

三枝)キッチンカーを出しつつ、女子寮の管理契約が終わる頃には実店舗の方もオープンされて。いつもしっかり考えながら動いていらっしゃいますね。あっ、鎌倉の時以外は!(笑)

深野さん)どうですかね(笑)結構、日常に追われてた部分は大きいですよ。目の前にお客様が来て即時対応せんにゃいけんようなこともあるし、飲食店という業種はとくにそうかもしれないですけど。
実店舗の方も、当時はお店を出すと決まっていたわけではないんですが、地域おこし協力隊時代に関係ができた方から、規格外のトマトを使って加工品を作りたいので一緒に手伝ってほしというお話を頂いたことが、大きなきっかけになりました。
だけど、いざ加工品を作ろうと思っても、地域に加工場として使える場所が意外となくて。かといっって業者に委託となるとロット数も大きくなってしまう。そういったことを間近で感じて、農産加工品を試作できる能力を兼ね備えた加工場を作れたらいいな、自分も作れたらいいなということで、この店を作ろうと思ったというのが1つの理由です。

三枝)一見、お店の綺麗なディスプレイに目が行きがちですけど、むしろ奥の調理場の方に意味があったという訳なんですねぇ!

深野さん)ははは、ですね!(笑)今はテイクアウトのお店というのが前面に出てしまっているんですけれども、本来は農産加工の施設を作るというのが、このお店のスタートだったんですよ。
それで、やっぱり農産加工となると販路を開拓しないといけませんし、商品の代金が入ってくるまでの間、毎日稼げるようなものを作ろう…テイクアウトできるものがとくに必要だなと思い、現在のようなスタイルになりました。

三枝)春からまた新しい1年ということで、今後お店をどんな風に成長させていきたいとか、どんな食材を使ってお料理をしたいとかありますか?

深野さん)ここで約1年位やって、現段階で集客に関してはこのぐらいが限界なのかな、っていうのが見えてきました。
今の場所だと中心地や大通りからそれているので、地域や地元のスーパー、道の駅にも販路を広げていけるようにしようと思っています。
ちょうど運良く卸してほしいという声もかかっているので、販路を広げて収入の安定化を図って様子を見つつ、農産加工にもに力を入れていければなと思っています。

三枝)一気にいくのではなく、一つひとつテストしながら次へ進むところが、しっかりされていますね。

深野さん)そこまでの余力がどこまで持つかですね。

三枝)実家で開店された強みが生きますね✨

深野さん)そうです!(笑)

イベント時には自らDIY製作した赤いキッチンカーで出動。移動販売しながらお客様のニーズを掴むというメリットも。

イベント時には自らDIY製作した赤いキッチンカーで出動。移動販売しながらお客様のニーズを掴むというメリットも。

地域の食材を使ったバリエーション豊かなサラダパスタ。新鮮さはもちろん、見た目の華やかさ、洗練された味わいでリピート確実!

地域の食材を使ったバリエーション豊かなサラダパスタ。新鮮さはもちろん、見た目の華やかさ、洗練された味わいでリピート確実!

食を通して地域の架け橋になりながら、家族との時間を大切にして過ごしたい

三枝)このロゴは、ご自身でデザインされているんですか?この“P”とは?

深野さん)「プエンテ」の“P”、「パスタ」の“P”なんですけど、
Pを重ねてクローバー的な感じにして、「無限大」という意味合いと、
プエンテがスペイン語で「橋」という意味なので、全体で「架け橋」のようなイメージのマークにしてみました。
文字も「架け橋」と「つながり」っていう意味合いを込めて、文字と文字をつないで作ってみました。

三枝)なるほど、深い~!デザインで勉強されたことを、ちゃんと自分に還元されましたね。

深野さん)そうですね、ここに生きました(笑)

三枝)内装や外装のデザインには、どんなこだわりがあるんですか?

深野さん)外装までは資金の問題でできなかったんですが、内装は建築会社さんの提示してきたイメージが良かったというのもあるんですけど、カウンターだけはこちょっとお願いして、色合いにこだわってます。

三枝)ほぅ、それはどのような?

深野さん)一応、お店のイメージカラーを青色にしてて、キッチンカーの方は赤色にしてるんです。
僕の中では青は“静”で、「そこにある」みたいなイメージだったので、落ち着きのあるお店、ということで青をイメージカラーにしました。
反対に赤は“動”で、「いろんな地域に行く」イメージなので、躍動感のあるキッチンカー、ということで赤をイメージカラーにしました。誰にも伝わらないようなこだわりですけど(笑)

三枝)いいですねぇ。これからの1年は、Puenteさんのマークをいろんな場所で見かけるようになるだろうということと、農産加工所としての思いを深めていく年になっていきそうですね。今後も洋風にはこだわっていくんですか?

深野さん)そうですねぇ。ただ、それは僕のこだわりであって、このお店の大もとのコンセプトは、地域の食材を使ったりとか、規格外の食材を使ったりとかなので、そこさえ大きくブレなければ、今後和食を作る人を雇用して、そういう分野を広げてもいいなという思いはあるので、そういうお店も出せたらいいですよね。

三枝)夢が広がりますね。

深野さん)夢しか広がらないですけどね(笑)

三枝)最後に、萩に帰って今の生活で幸せだなぁと感じる時はどんな時ですか?

深野さん)勤めていた時は、自分を押し殺して生きているように感じた時もあったんですが、今は自分らしく自由にできるのがいいですね。4歳になる娘がいるんですけど、家族と一緒に過ごしている時が、一番幸せですね。

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いかがでしたか?
萩は古さを残すまちです。でも、古いだけではいけないと、萩に住むたくさんの人たちが思っています。
では新しいものを外から取り入れて、古いものとどんどん入れ替えていけばいいと思っているかというと、そうでもありません。
やっぱり「萩らしさ」を残したまま、再生していきたいと考えている、私はそう感じています。

それを実現するには、いいところも悪いところも元から知っていて、愛情を持っている地元出身の方の活躍が欠かせないのではないでしょうか。

若者は、新しい出会いの中で様々な刺激を受け、たたくさんのスキルを身につけます。
そのスキルを「ミライ」というスパイスに例えるなら、
「ふるさと」という素材をミライ味のお料理に変えることができます。

知っているようで、知らない味。ミライ味のふるさとはどんなお料理になるのでしょうか。
次にそれを調理するのは、あなた自身かもしれません。

お店の頭文字「P」をつなげ、オーナー自らデザインしたロゴには、「架け橋」や「つながり」「無限大」の意味が込められているそうです。

お店の頭文字「P」をつなげ、オーナー自らデザインしたロゴには、「架け橋」や「つながり」「無限大」の意味が込められているそうです。

「家族と一緒に過ごす時間が一番幸せ」と話す深野さん。これからも、ふるさとで自分らしく自由にできる人生を作っていってほしいですね。

「家族と一緒に過ごす時間が一番幸せ」と話す深野さん。これからも、ふるさとで自分らしく自由にできる人生を作っていってほしいですね。

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萩市
三枝英恵が紹介する萩市ってこんなところ!

かつて、黒船が来て日本が劇的に変わらなければならなかった時、ここ萩からもたくさんの若者が世界へ飛び出し、学び、日本の近代化に貢献しました。

その爆発的な行動力の源となったのはやはり、自分の家族や、家族の住む国を守りたい、大切にしたいという「思い」だったのではないかと私は思います。

まずは自分や家族といった小さな身の回りから幸せしたいという思いは、
あなた自身の人生を少しずつ豊かにし、やがてふるさとの未来にもつながっていきます。

萩市出身の皆さん、萩へ帰ってきませんか?
あなたの思いを、ぜひふるさとで生かしてください。

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三枝英恵
はぎポルト・ローカルエディター
こんにちは!萩市ローカルエディターの三枝です。萩・明倫学舎4号館「はぎポルト」から、地域で輝く人や楽しいイベントなどを紹介しています。わたし自身も東京からの移住者ですので、これからも移住者としての視点も大切にしながら、皆さんのお役に立てる情報をお伝えして行きたいと思っています。 【はぎポルト 開館時間】 毎週火曜日~土曜日 9:00AM~6:00PM 地域のディープな情報や空き家の提供や空き家バンクのご相談、定住相談の窓口として、どなたでも自由にお越し頂ける開放的なスペースです。キッズコーナーもありますので、お気軽にお立ち寄りください。
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