
富山県富山市の秘境限界集落大長谷地区で移住者&関係人口を募集します。
開催日程:
12025/03/31 15:00 ~ 2025/04/29 15:00
最新情報
「興味ある」が押されました!
2025/04/04「興味ある」が押されました!
2025/04/03NPO法人白木峰と大長谷(オオナガタニ通称ながたん)を愛するは、富山市八尾町大長谷地区を自給的農業をベースにして、非常時や災害時に余裕を持って対応できる、オールラウンドな技術を持つ逞しい百姓と関係人口が集う、出入り自由で死ぬまで遠慮なく住める集落目指し、意欲的な仲間を募集しています。 不利と思われる地理的特性を活かして、中山間地域での持続性のある新しいライフスタイル構築に挑戦しませんか!
豊かな限界集落大長谷通称ナガタン!
大長谷地区は70年前には千人を超えた人口が今は40人で、その内訳は平均年齢80歳を超えた地元民と移住者が半々です。 一級河川大長谷川の谷間の標高300m~500mの国道472号に沿って住居は点在し、北陸で一番有名な祭り「おわら風の盆」が行われる、八尾旧街から20km以上離れた岐阜県境の富山市最南端の限界集落です。 しかし大長谷川流域には多くの発電所があるので、その維持管理のため道路整備と除雪態勢は良好で豪雪の時でも雪に閉される事はなく、又携帯電話や光ケーブルでネット環境は市街地とほぼ同じです。 それ以外のインフラは整備されておらず、プロパンガス 井戸水 浄化槽式下水or江戸時代と同じく方式です。 現在は、学校 病院 郵便局 商店は無くなり、ジュースの自動販売機が一台のみでお金の無駄使いは困難な状況です。 ただ、源泉掛け流しの温泉 キャンプ場 粋なイタリアンを出す食堂&民宿と貸別荘がありニッコウキスゲとアルプスの展望台の白木峰の登山口でもあるので、年間を通してビジターが途絶える事はありません。 この様な状況では子育ては難しく、多くの地元民は街に降りてしまいました。 気がつけばこの少し不便だが風通しのいい、移住者や関係人口にとっては非常に居心地の良い場所になって来ました。 人口の半分の地元民の方たちは皆さん優しくて、長年の経験から身に付けた百姓としての色々な技術持っていて、とても80歳越えとは思えない頼もしさです。 大長谷地区の最終目標は、年を取っても皆んなで助け合いながら、死ねまで遠慮なく住める集落を目指すのですが、現在は住民だけではマンパワーが足りず、ポテンシャルの高い大長谷の底力を活用出来ていない状況にあります。 それを打開するために、地域おこし協力隊員を採用したり富山県の中山間地域の活性化プロジェクトに参加しました。 そのプロジェクトの一環として、関係人口用のクラブハウスや移住者向けの家のリフォームを行うイベントを行ったりしながら、農的生活や他の事にも好奇心旺盛でコミュニティ作りに興味をもつ仲間を増やそうと目論んでいます。


農業の6次化と観光に興味があり好奇心旺盛で社交的な方
メリハリの効いた四季を楽しみながら、自分の特性を生かしながら、出来るだけ農薬や化学肥料を使わない農業+X(食品製造業 狩猟 林業 水産業 畜産 飲食業 宿泊業 建設業 観光業)のライフスタイル確立と外国人と交流して、語学力と国際性を身に付けたい方。


募集要項
大長谷移住者&関係人口お試し大募集
2025/03/31 15:00 〜 2025/04/29 15:00
無料
先ずはメッセージをよろしく!お待ちしています。
NPO法人白木峰と大長谷を愛する会
このプロジェクトの地域

富山市
人口 40.49万人

猪俣正道が紹介する富山市ってこんなところ!
富山県の県庁所在地富山市は適度な都会で余り不便さを感じる事はありません。 ただお隣の石川県金沢市のような華やかさはなく、質実剛健と言うかアピールが苦手なのは江戸時代に、富山県の中で唯一富山市の部分だけが加賀百万石ではなく、分家だった事もあるのかなと、移住者として両市に住んだ経験から感じます。 富山県の観光業は黒部立山アルペンルート以外は比較的地味で、それより製造業が主力なので、コロナ禍でも経済の痛手は石川県より少なかったようです。 農業も石川県のように他県特産野菜を改名して加賀野菜と名乗る強引さは無く、コシヒカリの種籾生産日本一を自慢しない奥ゆかしさが有ります。 富山市の良いところは身近な海山の絶景と、地道に真面目に働いていれば家も建てられ安定した平凡な暮らしが送れる事と、ほんの1時間のドライブで山奥に入れば自然豊かな環境でワイルドな暮らしも可能な懐の深さです。
このプロジェクトの作成者
東京都新宿区生まれ、20歳代前半は登山に熱中して、日本での困難な冬山登山を経てヒマラヤとヨーロッパアルプス登山経験して人並み以上の度胸とサバイバル能力を身に付ける。
当時はなかなか登山では食って行けず、25歳で体調を崩した事もあり、料理も得意だったので調理師学校へ行きました。
卒業して直ぐに英国で仕事見つけ、アルプスも近いと思いに渡り舟とロンドンへ行き、調理師として働き始めました。
同時ロンドンには、日本のバブルの影響で人口数万人の日本人村が有り、本当に雑多な全都道府県出身者がうごめく善人悪人揃った面白い所で、新宿歌舞伎町以上に楽しく恐ろしい経験をしましたが、無事日本人と結婚も出来ました。
最後の17年間は、大谷選手御用達のレストランNOBUのロンドン店の寿司カウンターで世界中のセレブを接客する貴重な経験をしたのち、ヘッド寿司シェフを勤めました。
充実した英国での生活でしたが、50歳を過ぎ、東日本大震災後にボランティアで東北各地を回り、日本の田舎の美しさと農村漁村の人々の逞しさに多大な影響を受けました。
女房を説得して日本に戻り全国を周り、何ヶ所の中から海か近く魚が美味しい山奥の富山市大長谷に借家を見つけ移住して、有機農業や狩猟活動とジビエ料理の開発等に熱中して10年が経ちました。
現在は、仲間とNPO法人を立ち上げて大長谷地区の有効活用の道を模索しています。